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叢雲

いつの間にか自分のことを書けなくなっていた。
何のテーマでもなく、ただ、私の話。

恥ずかしいことがあるから話せない
以前に
恥ずかしい自分のことを見れない
だから話せない。

「恥」

私のなかの重要なキーワードのひとつだと思う。
生きていくのが恥ずかしい
それ以上に死ぬことが恥ずかしい
だから生きてきた。

死ぬことに対する私の最大の嫌子は、痛みでも苦しみでもなく恥であった。恥を抱えながら生きていくのがどれだけ滑稽でも、私にとってそれは矛盾することのない摂理の一つだ。

私は本当に恥ずかしい人間だと思う。
自分の足りななさを嫌悪する割に
生き方を変えたくない。
変わらなきゃいけないくらいなら、終わりたい。
自分のことはさして好きじゃないくせに、一丁前に我が強いから救いようがない。

この「恥」はどこからきたのだろうか。
そんなこと、わかりっこないけれど
わかってたまるかとも思うけれど
私の「恥」の最も古い記憶は小学校6年生の冬だ。

その頃の私には「親友」と呼んでいた仲の良い友達がいて、そして4人のグループでいつも過ごしていた。永遠だとかおばあちゃんになってもとか、小学生なりの言葉で相手への思いを交換ノートにしたためたりもしていた。これ自体客観的に見れば十分恥ずかしい話なのだろうが、本題はそこじゃない。

本当にずっと仲良くできると思っていた。
楽しい思い出はいつもそこにあった。
大袈裟じゃなく大好きだった。
根拠のない確信がそこにあった。
疑うということを知らなかったのもある。

6年生の冬のある日下駄箱で私以外の3人から手紙を渡された。
「大嫌い」「バイバイ」
数日後にはご丁寧に嫌いなところリストなんかも渡された。そのグループだけじゃなくクラス中に根回しされて私に話しかけてくれる人はいなくなった。
妹が「お前の姉ちゃん学年中から嫌われてるんだってな」と言われているのを見た日もあった。

卒業を目前にして私は不登校になったらしい。
「らしい」というのは私自身は学校を休んだ記憶がなくて、数年後に親からその話をされて初めて知ったからだ。

…で、そのきっかけとなった手紙を渡された日、そしてその先の全ての記憶に鮮烈に刻まれた感情は「恥」だった。

悲しいとか悔しいとか苦しいとか辛いとか
正しい感情を全て「恥」が塗りつぶしていった。
恥ずかしくて消えたくなった。
私の身体を置き去りにして私の視点だけが世界側に取り入って、私の身体を指さして笑った。

そういえばあの時から、
常に私の中には私を揶揄するもうひとりの自分がいる。

恥ずかしくないように勉強をした
勉強をすればするほど新しい恥を見つけた
可処分時間全部費やしても敵わないものがあることが恥ずかしかった。

私の「恥」は無限に増殖した。
「恥」を「恥」と思うあまりに自己愛は肥大化し、間違いを認められず、ごめんなさいもありがとうもうまく言えないような「恥」ずかしい人間が出来上がっていく。

「恥」を認識する力だけが強く
「恥」を受け入れる力は付かない
「恥」は他者を受け入れる力すらも壊していった

否定されたくないのに持ち上げられたくない
見られたくないのに目を背けられたくない
私は、これっぽっちで、たったの、これっぽっちで、ここに存在してしまっているじゃない。

私が吐き出す言葉の源流にあるのは
頭の中で休むことなく練り続けている長い長いいいわけである。

全部、誤解なんです。
私は、悪人じゃありません。
私は、無能じゃありません。
話せばわかる、話せばわかる…
ああ言われたらどうしよう
こう言われたらどうしよう
違うんだよ、そうじゃないんだよ
ちゃんと私もあなたにとって価値のある人間なんだよ、話せばわかるよ

…そうやって練り続けたいいわけの貯蔵庫が、この脳みそである。

ああ恥ずかしい
如何してこんなことを書いているのか

これもまた、いいわけでしょうか。

いいや、そんなつもりはないんだ
話せばわかる。

くそ
殺してください。
いや死んでやる。
ダメだ、死んだら
もういいわけができなくなる。
…ああそうか
死ぬのが恥ずかしいのはこういうことだったのか

恥ずかしい…恥ずかしい…

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