より道の多い人生

ひっそりと生きている根暗ポップ。東京浮遊しながら修業中です。ID統一のため2015年か…

より道の多い人生

ひっそりと生きている根暗ポップ。東京浮遊しながら修業中です。ID統一のため2015年から利用していたnoteを一度退会し、リスタートしました。140字では収まりきらないことや、もはやただの日記にすぎない駄文を綴っています。

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  • 訥々日記

    タイムカプセルから掘り起こした拙い言葉の詰め合わせ

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人生に、よりみちを。

2015年くらいからはじめたnoteのIDをTwitterなどと統一させたくて、イチからスタートすることにした。 過去のログを完全に消してしまうのは少しもったいない気がするので、再編集して載せたり載せなかったりしようかと思っている。(ID変更で一番もったいなかったのは購入・購読していたマガジンや、フォローを消さなくてはいけなかったことだなあ) 過去に書いたものを隠したり消したところで、なかったことにはならないし、そんなことで簡単にリスタートできるもんじゃないってくらいに、

    • きらめきも、どよめきも、一切合切

      何かを書くのも久々だし、noteを開くことも久々で、そうこうしているうちに今年も残り1か月を切っていて、まるで玉手箱を開けてしまった浦島太郎のような気持ちでいます。やぁやぁ、ご無沙汰です。 読んでくれている人がいるのか甚だ疑問ではあるのですが、そんななか提供している写真を使ってくださる方が多いのでこの場を借りて、お礼申し上げます! 通知を見るたびに『snapmartみたいに換金されれば助かるのにな…』なんて密やかにゲスイいことを考えちゃったりもしますが(てへ)とはいえ

      • 出せない手紙をもって小さな旅にでる

        敬老の日前後はいつも決まって、 自分のおじいちゃんおばあちゃんではなく、ただの一度もあったことのないおばあちゃんのことを思い出す。 そして、そのおばあちゃんが、読書のことを「小さな旅」と言ってたことがとてもとても好きだった。 ・・・ 小学生のとき、地域の「老人憩の家」宛てに お手紙(ハガキ)を書く取り組みがあって、(今では個人情報の関係で無理だろうけど) 稀にそのお手紙へ、おじいちゃんおばあちゃんたちから「お返事」が届くことがあった。 なんだかそれがものすごくうらやま

        • やがて、ぜんぶ大丈夫になる

          下書きにいれたままなんとなく公開させれなかったこのnoteを、ようやく手放せそう。 現実はまだまだ現状回復とは言い難いけれど、 溢れてくるいろんな感情のどれもが本物で わたしは、それらを見逃さないようにひとつひとつじっくり観察している途中なのだ。 ・・・ 苦しいからこそなにひとつ書けないんだけれど、苦しくて書けないというときほど書かなきゃいけないような気がしている。 そんなことは決してないよ、とやさしい誰かは言ってくれるだろう。 「自分を大切にして」「ゆっくり休んで

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        人生に、よりみちを。

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          17本

        記事

          そしてわたしは言葉で恋をする。

          写真や絵が好きな人が目で恋をするのだとしたら、音楽が好きな人はきっと耳で恋をするのだろう。食べ物が好きな人は匂いで恋をして、スポーツが好きな人は身体で恋をする。映画が好きな人はリズム感で恋をして、本が好きな人は言葉で恋をしているのかもしれない。 ・・・ 「めんどくさい」と自分自身が思うとき、きっと相手にも「めんどくさい」と思われてるんだろう、ということも同時に思う。 そばにいてほしいと願いながらも、傷つけたくないし傷付きたくもないから「会いたくない」という相反する気持ち

          そしてわたしは言葉で恋をする。

          夜を行き交う人たち

          真夜中、どうにも眠れなくなっていたタイミングで偶然にも友達からのLINEがきた。 どうしようもなく消え入りたい気持ちを引き換えにして投げかけたLINEの内容は、今となっては微塵も覚えていないけれど「嫌われちゃうかもな、そしたら嫌だな悲しいな」と思いながら、行き場のない想いをただ聞いてほしくて吐露せずにはいられなかった。 お酒で浮かれてしまった夜も、居心地の良さに甘んじる夜も、すべてを台無しにしてしまいそうなほどひとりぼっちを自覚させられる。どうやらわたしの体は、お酒に溺れる

          夜を行き交う人たち

          もう後戻りできないから どうか光のなかに立っていてね

          人間を太陽と月に分けるとするなら、きっとわたしは月側の人間だな。太陽の光がなければ光ることすらままならないから。 あの頃、本気でそう思っていた。 誰かに「そんなことないよ」と言って欲しかったわけじゃなくて、本心で、なんなら無邪気に、むしろほんのすこし、そう思うことが誇りにさえ思っていた節があった。わたし、自分のことよく分かってるでしょって。 そんな高校生だったわたしに、当時バイト先の仲のよかった大学生の男の先輩が「きみも、誰かにとっての太陽なんだよ」と言ってくれたことを、

          もう後戻りできないから どうか光のなかに立っていてね

          わたしの届かぬあなたへ愛のある日々を

          それは、年末の片づけをしていた日のことだった。 かつての恋人からもらった“最後”の手紙を見つけたのだった。 微かに手が震えてはじめて、弾けんばかりに込み上げるなつかしさとせつなさを自覚する。泣いてしまうかもしれない気持ちに戸惑いつつ、読み返そうとする指先を止められずにいた。 一呼吸おいて読んだその手紙は、皮肉にもあたたかさに満ち溢れていた。 こんなにもやわい力で、これでもかと言わんばかりにやさしさとさみしさを詰め込み、せつなさにしっとりまみれた手紙をもらうことはもう二度と

          わたしの届かぬあなたへ愛のある日々を

          過ぎ去った嵐と夜の瑞々しさ

          あれは嵐だった。 いつだって、あとから振り返ってみればよくわかる。 晴れ渡る空を、薄雲から差し込む光を、まろやかな日差しと、刺すように冷たい風がわたしを通過してはじめて分かる。あれは、やはり、毎年恒例のごとくやってくる嵐だった。 抗わないようにと、わたし自身はどんどん丸くなっていくけれど、いつだって悲しみの記憶は容赦なく覆いかぶさってくる。どうしようもない。逃れられないとわかっているからこそ、本当にどうしようもない。 それでも、その嵐が過ぎるころにはちゃんと、流れ星みたい

          過ぎ去った嵐と夜の瑞々しさ

          キラキラにもメンヘラにもなりきれないまま、春は

          TWICEが歌うOne More Timeみたいな女の子になりたかった。 帰宅したというのに、上着も脱がず、テレビもつけず、誰もいない静かな部屋で、昨夜見た情熱大陸を思い出しながらひとり思った。 それ以外はなんにも考えられないくらい、ただ、すっかり疲れていた。 Gimme gimme more 君と歩いて行く One more time gimme gimme One more time O-oh 手を繋ぎ見える全てが好き one more time 誰より One

          キラキラにもメンヘラにもなりきれないまま、春は

          ごめんねばかりでいつもごめんね

          いまだに好きになれないバンドの曲を、彼らが解散してずいぶん経つというのに今になってヘビロテしている。 どうも好きになれないとかなんとか言いながら、繰り返し聴いてしまうのはなぜなんだろう。執拗に「ごめんね」と歌う声が耳の奥でこだまする。 あなたのことは好きになれなくても、あなたたちの作ったこの歌は意味が分からないからこそ美しく煌めいていて好きだ。 このところのわたしは、すぐに気持ちが溢れてしまうから「ごめんね」と言いながら笑って、「ありがとう」と言いながら泣いてばかりいる。

          ごめんねばかりでいつもごめんね

          さよなら、この気持ち「平成」に置いていくね

          まだわたしのなかでぬかるんでいるままの気持ちたち。話しているうちにまた今日みたいな雨が降ってきて、足を取られてしまうこともあるかもしれない。それでも相変わらずとりとめのないことを、いつものままで気取らず書こうと思う。いつかの自分への手紙として。 ・・・ あと数時間で元号が変わるね。 ギリギリ平成元年に生まれた私だから、令和元年に入籍とか出産とかしたい人生だったな、と少しミーハーなことを思ったりもする。 というのも先日、友人の『平成最後の結婚式』ってやつに行ってきて、考え

          さよなら、この気持ち「平成」に置いていくね

          不安そのものに対峙する前に

          言わないでおこうと内に秘めていたはずの気持ちを、自分の弱さにかまけて容易く吐露した結果、恋人に不安な気持ちを伝染させてしまった。 前にも書いたけど、 こんなとき、漫画『凪のお暇』に出てきた台詞を思い出す。 男女間の悲劇の引き金はいつだって”言葉足らず” 確かに彼は言葉足らずに違いないけど、きっとわたしは伝えすぎるのだろう。感情過多の情報過多。 言葉はいつだって、おしゃべりだ。 とはいえ、言わずとして察してもらうなんて傲慢なこともしたくない。 こんなとき、一体どんな

          不安そのものに対峙する前に

          やがて届く波紋

          こんなにも誰かとずっと一緒に居ながら、 泣いて笑った日々は今までになかったと思う。 「友達以外の誰かが、そばに居ることはやっぱりいいよ」って親友に言われたときは実感なんてまだまだなかった。 あれから、まるで半年ほどあった空白の期間を埋めるかのように 何かから逃れるようなスピードで 冷えた指の先を暖め合うような感覚を持ち寄ってできるだけ一緒にいた。 だからなのか、こんな気持ちになるなんて思わなかった。 数年前に綴った言葉がまた巡ってきている。 かつては同じ屋根の下で

          やがて届く波紋

          とりこぼしてはいけないもの

          恋人が「会いに来て」って言ってくれるのを待ちきれずに、「会いに行っていい?」と聞いたら「大量のおでんを作ったよ」と写真付きの返事がきた。自分ひとりだったら考えられないような大量の具材が投下されたおでん鍋の写真を見て、彼らしいな、と思わず笑う。 一夜では食べきれそうにないアツアツのおでんを、ふたりしてハフハフしながら口いっぱいに頬張る。 「おでん作ったから会いに来てって言おうとしていたら、『会いに行っていい?』って連絡が先にきたんだよね」と彼が湯気と一緒につぶやいた。 ・・

          とりこぼしてはいけないもの

          言葉が生まれるときはいつだってひとり

          強気と弱気をいったりきたりしている。 「こんなわたしだって、幸せになっていいはずだ。」という強気と、「もうこれ以上なにかを失いたくない」という弱気と。 こんな気持ちについて誰かに説明できるはずもなく、所在が無い。こんな感情と一生付き合っていかなくちゃならないのか、と溜息をついた。わかってる、自分の責任を自分で取るということはそういうめんどくさいことを受け入れるということだ。 自分にとっての大切なものだけを選んだときに発生する「失くさなくてもよかったもの」の可能性に対して傷

          言葉が生まれるときはいつだってひとり