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書きたいだけ書く日記【2021/07/19~07/25】

2021/07/19(月) 

 起きて窓を開けて暑いとがっかりする。
 朝ごはん ゆで卵ハムきゅうり/きゅうりハムチーズのサンドイッチ
本日は朝から短歌方面と書き物のみやる体制。歌を作って、連作を組む。このところずっと同じテーマが頭に座り込んでいる。一段落して、書き物の方の見直し。字数だけなら大丈夫なのに字数×行数ではめると改行の都合で大幅にはみ出すやつ。足りないはいいけど多いはご迷惑なので調節。
 午後、メールを書いて送信。ここで脱力しないのも今の私の課題で、達成感に打ち震えるようにしたい。

 界隈で波風。何をいまさら、としか思えず。その人のやり方に私もやられた一人。忘れないし、死んだらシャンパン開けるレベル。そもそもその人のクリエイティブな部分もなにも私は信じていないが、そんな人が立場を得る世界に私はいるんだよね。
 しかし原稿料が自社の本を買う時にのみ使える券だったとかいう噂、そこの方に驚いた。ほんとかね。私、お金でくれないところとは仕事したくない。クオ・カードも嫌。もうなんというか、ごっこ遊びみたいだもの。

2021/07/20(火)予備予選視聴

 昨日送信した原稿で使い果たしすっかり灰になっての翌日なので、あるもので朝ごはん。青菜混ぜご飯のおにぎり、鶏ときゅうりの和え物、前夜の親子丼のあたま。今日は35℃予想。息子1が水筒の氷は10個入れてくれというのに7個しか無いので氷トレイのざらざらまで入れる。
 行ってすぐから句作。2週間前息子1がピアノの先生と揉めた時に、むしゃくしゃして衝動買いした夏の歳時記を使う。うん、いらなかった。手持ちと変わりがない。それにしても、ほぼ実生活では死んでいる季語の多さ。竹婦人とか浮いてこいとか、日常に無い。ノスタルジーとしての需要となりつつある。
 ついでに買って読んでいない句集を読む。レビューだと私にピッとくるはずと思って買ったのにいまいち。ピッと来なくても良いものは良いのだけど、それもあんまり。フォントに夢見るのは勝手だけど読みにくいと脱落する。
 ショパンコンクール予備予選9日目。好きな日本人のピアニストが二人出ている。楽しみ。その一人はユーチューバーで私と息子1が互いに見ていることは知らず、前から見ていた人(最近判明した)。その彼の出番が今日。演奏を聞いたけれど、どうなのだろう。ものすごく緊張していたのが気になった。色々他にも気になるとか思ってしまったけど、生じゃないと本当のところはわからないもんなー。絶対に現場とYou Tubeの中継では聞こえているものが違う。しかしショパンコンクールは5年に1度だし、この予選を経て10月の本選だから遥かな道。出られた人の選ばなかった方の道を思う。出られなかった人の、切望しても選べなかった道も。
 もうすぐオリンピック。選手の思いとか出られなかった人の思い、全て覚えておきたいと思う。

2021/07/21 (水)やる気とは

 朝からオリンピックの第一弾としてソフトボールの試合の中継があっていた。上野由岐子さん39歳。仲間はいるけれど、孤独だったと思う。彼女のこの13年の旅路を考えると泣きそう。いや、誰も居ないので盛大に泣いた。北京の後、やる気が出ないからやめたいという彼女に監督の宇津木麗華さんがかけた言葉、「やる気がなくてもいいからやめないで」も。深い。やる気が出てくる時は来るかもしれない。その時まで力を維持するために続ける。新しいし深いと思うのだけど、どうだろう。
 よく言われる「やる気を見せろ」とか「やる気がないなら帰れ」の先払いのように言われる「やる気」は実はやり始めてからも出るのは自分や周囲からも、生徒さんを見ていても知っている。そんなことで好きなことが嫌いになってやめちゃうのはもったいなくて、いつ頃からか、やる気が出なくて困っている時は「少しでも好きという気持ちがあるなら、その気持ちを大切にして、今は現状維持で身を低くしてやり過ごそう」と言ってきたけれど、スポーツの指導者が同じことを言っているのは初めて聞いた。
 今年は短歌研究の年鑑の調査票がこないなー、外されちゃうのかしらなどと数日前、虹の中山さんと話していたら、今年から年鑑が事実上廃止との情報が。勧誘の電話が年鑑を見てかけられているのは明白だし、個人情報という危惧が大きいのはわかるけれど。受贈文化の短歌でこれは厳しく感じる。田舎に住んでいて東京に行くことなど体調の関係でほとんど無い私には年鑑は結構重要だ。ますます私は遠い人に。
 結構驚いた。実害はない。けれど衝撃に弱いタイプにとってこのところショックな事が多い。ま、私は私のやりたいこと、勝手にやっていくの心。

2021/07/22(木)作詞のこと

 だいぶ前に話をいただいて、受諾の打診かと思っていたら依頼だった作詞のお仕事、完成。歌人が作詞というのは近年なら林あまりさんの『夜桜お七』や俵万智さんの『銀ちゃんのラブレター』など知っていたし、近世の歌人もたくさん作っているので驚かないが、私にお話が来たのは嬉しい驚きだった。
 合唱曲。そもそも私は名もなき編曲者で、器楽や吹奏楽、合唱の曲を手掛けてきたのだけど、曲じゃなくて歌詞に携われるなんて思ってもいなかった。嬉しさがこみ上げてくる。
 今までインタビューなどでは短歌にフォーカスして話してきたけれど、私の詩歌との出会いは歌詞。中学時代、80年代の歌謡曲が好きすぎて歌詞を何度も書写し、僭越にも自分でオリジナルの歌詞を作って歌っていた。そのうちに作詞作曲してラジカセ2台とシンセサイザーで一人で多重録音して、歌も入れてカセットテープに録音して。そんな私にとって作詞は選ばなかった方の道だから、この機会は本当に喜び。
 歌詞はお手紙をつけて、依頼先に郵送した。喜んでもらえるだろうか。
 ポストに投函して帰宅して、深く喜びを味わおうと思っていたのに、疲れ切って負けみたいな気持ち。この展開やめたいところ。
ふらふらしつつなんとなく、あるものでご飯を作って終了。

2021/07/23(金)TOKYO2020開会式

 息子1の弁当を作って送り出す。部活。最後の大会の予選まであと5日。
 送り出した後、少し短歌を読んで作って、良い流れ。このところじっくり短歌に取り組む体勢があり、私の中で色々と固まったり変化がある。
 TOKYO2020、聖火の最終ランナー・点火者について我が家の憶測。
「やっぱり、偉業を達成した人じゃない?伊調さんとか野村さんとか吉田さん」
「いやいや若すぎやん。もっと年配はおらんの?」
「うーん、釜本邦茂?三宅宏美さんのパパとか叔父さん?」
「三宅パパ!メダリストや、叔父さんも。釜本はないな…もっと偉業で年配…というかイチロー!野球で出とるよ」
「おお!でもイチロー出すなら長嶋さん出したいし王さんもいる」
「いや、出したいけどな…もっと年上だと威厳出るよね…織田記念の織田さんとっくに死んでるし…」
「金栗さんがいる…いやあれは勘九郎さんだ」
「他におらんの?山下さんはどうなの?」
など最終的には熊本出身者に水を引きつつ楽しい予測をしていたら、山下さんが東京のランナーとして出て来て、アッとなる。
 東京の最終ランナーは中村勘九郎さんだった。あの出で立ち、大河ドラマ『いだてん』のあれ。頭は坊主、足元は金栗シューズで、「行ってくるばい」って一言言って走り出した。
 大河で知り、金栗四三の短歌を発掘して、その足跡をたどった私としては、金栗さんが徹底的にオリンピックとのご縁が微妙だったことを知っている。ただ知っているだけの人間なのだけど、こうして、ここで、公式の場で金栗さんを出してくれたことがうれしくて、涙が出た。勘九郎さんもきっと、役を演じて金栗を知ってそう思ったに違いないと思った。
 晩ごはんはこのところ不調そうな息子1を元気づけたくてハンバーグとサラダ、味噌汁。ちゃんと手でこねて作った。
 19時半から23時半までのの開会式特別番組を見るために、風呂を前倒しし食事を前倒することに成功。最高の気分で臨む。
 開会式、まあよかったんじゃないの、という印象。小山田と小林ですっかりミソがついた割に。演出が小林賢太郎だということ、見ててわかる。息子1が誰かわからんと言うので教えると「あっ、ジュモクさんの相方!」と今頃。ラーメンズだから。しかし、木遣だの火消しだの民謡だの出すとダサくなるの、わからんのかね。長野で失敗したじゃん。空中分解したやん。ほんとセンスない。誰がねじ込んだ。真矢ミキさんは好きなんだけど、出す意味。結局最近のオリンピックで一番良かったのは北京だった。チャン・イーモウ演出の。
 我が家の最大の関心事、最終ランナー・点火者。結局三宅義信さんは五輪旗を持ち、伊調さんは動画で出てきたし、野村さんも吉田さんも事前に出た。王さん長嶋さんと松井さんが一緒に出て、長嶋さんがリハビリをとても頑張ったのがわかって涙が出たけど、予想は全ハズレ。
 結局最終走者というか点火者は微妙、とても微妙。多様性とか新しい時代に向かってというのはわかるし、その点では適任だけどオリンピックにこれから出る人にさせるのはどうなのだろう。なおみちゃん、好きなのだけどシラけた。こんなところに使わないでほしかった。
 開会式、あと良かったのはピクトグラムとドローン。ドローンは1800何台かで地球を作ったり動きが生き物じみていて、健気に見えて情が移ってしまった。最初はそれが鳩になるのかと思っていた。

2021/07/24(土)生中継天国

 オリンピック開幕。幸せ、とにかく幸せ。生中継でものを見るのが好きな私にとってスポーツの大会は全て大好物。
 昨日のことを思い起こして。金栗四三の短歌、やっぱり今こそもう一度、注目して欲しくてnoteに載せることにする。
 金栗さんは歌人じゃないけれど、じゃ歌人ってなんだよと思う。月詠があることか?賞を取ることか?総合誌に載ることか?自分は歌人と標榜することか?どれもくだらない。日々歌を作り、日記や手紙に残した人の方が短歌に親しみ、近くにいる。生活の中に自然に歌がある人を歌人ではないというのは乱暴だろう。機会がなければ詠まない、詠めない人よりずっと歌に親しい。歌人とは何なのか。このことは心に置いておかねばならない。
 短歌研究年鑑の調査票、届いた。例年よりかなり遅い。噂通り今年から住所の詳細や電話は載らないけれど、台帳は編集部で一括管理するとのこと。ま、いいんじゃないかね。私はおかしな勧誘の電話が来たりするのは賞もいただいたし、地元新聞に記事も原稿も載っているし、顔や名前を出してする稼業の背負ったものと割り切っているけれど、名簿に載っているだけで展覧会にあなたの短歌を出すから○万円出せ、というあやしい勧誘の電話がかかってくるのはまずいと思うもの。
 ショパン・コンクール予備予選、私の好きな人達が通っていてホッとした。20日の日記で気になっていた彼、通っていた。半分弱の出場者がここで落ちた。
しかし出場の皆さん、息子が血道を上げていたコンクールに出ていた人が多い。すごいわあ、と今更ながら元付き人母は思う。

2021/07/25(日)Cicada

 ついに起きる時間より先に鳴き出したセミの声で起きた。セミに心優しい人はこちらの、木に囲まれた所に住めばいい。本当に嫌になるから。クマゼミと他のセミの割合の詳しいところは知らないけど、クマゼミの鳴き声が大きすぎて、他のセミなど聞こえないし、テレビも普通の音量では聞こえない。何より暑苦しい。午前中いっぱい鳴いて、午後もすきをみて鳴くものだから、夜になってもクマゼミの声の空耳が聞こえる。害虫の一種、ほんとに。燃やし尽くしたいほど。
 日曜なれど、息子1は最後の大会に向けてラストスパート。大きなお弁当とパン、ゼリー飲料など大量に持って部活へ。オットは仕事。みんな送り出した辺りから体調急降下。リビングで寝たり起きたりしつつ、オリンピックの中継を見ながらゲーム。そんなことをしながらひたすらイライラする。具合の悪い人はぐったりと世をはかなんで薄幸プレイしていると思われがちだけど、私は子供の時からずっとイライラしている。具合が悪いとやりたいことは何も出来ない。ものすごく具合が悪い方が何も出来ないからあきらめもつくというものだけど、中途半端な、起きては居られないけど寝てると飽きるぐらいが最もたちが悪い。今日もいらいらする。やりたいことは山ほどあるのに、やれるコンディションじゃない。こんな状態で時間を過ごすのが不愉快極まりない。結局何も出来ず夜。

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