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書きたいだけ書く日記 2022/02/22

トレモロアームの思い出、短歌作品の記事開始、誰のために書くのか、挨拶したのに誰か思い出せない、など。

2022/02/22 私は私の

 オットが遅出、息子は学校は休み…じゃなかった自宅待機でゆっくり起きるというので久しぶりに7時間以上寝られた。めずらしくよく寝た感もある。やっぱりたくさん寝るとすっきりする。人は寝ないとだめだ。

 朝食後うだうだしていた息子1、部屋に行ったかと思うと猛烈に電子ピアノを弾き始め、激しく歌っていた。追い詰まってきたな、と思う。自分はこの時期どうしていたかと考えたら私はエレキギター弾いてた。トレモロアームをつけて猛烈にギュイギュイわうわう言わせたりして一人で悦に入っていた。何も言う権利は無い。
 数日前から考えていた、記事をアップ。

 せっかく書いたものなので見てもらおう、と思って。
よく考えたら、かばんと梁、総合誌で発表しても、私の書いたものを見て何かを共有できるかもしれない遠くの人には届かない。面白いことは沢山の人と、と思う。
 そう思いつつ、私が創作をすることと、上に書いたことは同じ引き出しに入れたくはないな、とも思う。人の反応や理解を創作の喜びとして大きくウエイトを置くのはこわい。いつか、本当に自分のやりたいことを見失いそう。

 私が創作することは、私のみが理解出来ていればいい。私のために書いている。私が好きで選んだものへの忠誠さえあればいい。そうわかっていてもやらかしがちな凡人の身であるから、道を違えないように、ホチキス綴じの本を作って会う人ごとに見せていた6歳の私や、自作の小説や詩をワープロで打ってはコピーして友達に配っていた16歳の私と、話し合いながら歩いている。

 午後神仏詣で。ものすごく良い天気。仏さん詣での後、水前寺の辺りを通って健軍神社に行こうとするも、ことごとく思った通りに通れず、熊高正門前に出てしまった。一時停止がついていたので止まると目の前を横切っていた一家の女性がパァッと顔を輝かせて会釈してくれた。一瞬のうちに、色々考えを巡らせた結果、連れている子供が息子1と同じ中学・学年だから知り合いと判断してこちらも笑顔で挨拶したものの、はて、誰か全然思い出せない。多分、受験会場の見学に一家で来たのだと思った。そう言えば、たくさん親子連れが居た。みんな息子1の中学。そうか、親と下見するのか、と思いつつ通過した。そういうことを全く考えてなかった。

 夕方、思い立ってスコアを出してきて、『展覧会の絵』の「キエフの大門」の頭をピアノで弾いてみる。いっちょん弾けん。どんどん退化している。ちょっとは弾かねば、と思う。

 帰宅した息子1に、熊高前での顛末を話した。結局、誰かわからず。絶対知り合いの母仲間。しかも男児の母仲間だから小学校から結構接点があった人だと思うのに。どなただったのだろう。思い出せなくて申し訳ない気持ち。

晩飯作り、のんびりし過ぎて子の塾に間に合わなくなりそうで、鼻歌を歌う余裕も何か流して聞く余裕もなし。超特急制作。肉じゃが、もやしのナムル風、味噌汁(キャベツ・豆腐・南関あげ。熊本の麦味噌)。私はご飯は無し。

 夜、Twitterで短歌の人々を見ていて、自分がわからない短歌は知ったことじゃない、私は人にわかりやすいものを書くことを心がけている、というものを見た。ふーんと思う。思うのみ。色んな人が居るからこの世はこの世だと思う。

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