【イベントレポート】AAPA『ケアと身体性』vol.1 / これからの「家族」

下記のnoteに経緯を書いた通り、今年2月から『ケアと身体性』をテーマに、コンタクト・インプロビゼーション (CI) の特性の「触れる/触れられる」ことを捉え直していくイベントを始めた。

以下は、AAPA『ケアと身体性』vol.1 / これからの「家族」の当日レポートです。

離れた家族を支える『ケアの循環』

当日は月曜の夜にも関わらず、医療や臨床心理を専門にする大学研究者、地域での介護予防活動に取り組む人、これからの家族のケアに必要とされるサポートや仕組みに関心がある人に参加していただき、15名程が会場になる一軒家の1階リビングに集まった。

ゲストは、自分の大学時代のゼミの後輩で、彼女が撮影・監督をした映像作品『移動する「家族」』の情報を偶然Facebookで見たのをきっかけに連絡を取り、昨年10年振りぐらいに再会した、大橋香奈さん。
最初に「移動/移住」「家族」をテーマにした研究内容の紹介とあわせて『移動する「家族」』を一部上映してもらい、今回のテーマとつながる部分について解説してもらった。

そして大橋さんから、自身の研究と実体験をもとに下記の内容が語られた。

近代的な「家族」をめぐる様々な前提が崩れていく中でも比較的守られてきた「居住の共同」(一緒にまたは近くに暮らす家族関係)を実現できなかったり、選ばなかったりした人たちにとってのケアを考える時、「親と子」のような固定的な関係だけでケアを捉えてしまうと「家族と離れて暮らす生活」は成り立たなくなってしまう。
そのため『Transnational Families, Migration and the Circulation of Care』という「別々の国で離れて暮らす家族は、どのようにケアを行うのか」をテーマにした最近の研究では、ケアの関係を『循環(Circulation)』という視点で捉え、多様な要素やアクターによって成り立つものと考えることの重要性が語られている。

現在はネットが普及する前とは違い、海外と日本のように地理的に離れて家族と暮らしていても、文字や音声、映像を通してリアルタイムでコミュニケーションが可能で、お金の受け渡しや買物の代行なども簡単にすることができる。
だが、自分も夫の研究のため夫婦でフィンランドで暮らしていたとき、日本で暮らす家族が心身の不調をきたしてケアが必要になり、対面して身体性を共有できないネットでのコミュニケーションでは、どうしても限界があると実感した。
そして「家族と離れて暮らす生活」をやめて日本に戻り、自治体の広報誌でNPOによる様々なケアの提供があると知って、先にあげた研究の『ケアの循環』という言葉とつながる「家族ではない他者とともに行うケア」について初めて考えるようになった。

「身近な他者」とのケア

大橋さんの話を受けて、自分(上本)から下記の問いを投げかけた。

「ケア」という言葉には、暮らしている家や地域、学校や仕事場などで日常的に交流する(していた)「身近な他者」との間に生まれる信頼や安心感が含まれる。
その信頼や安心感を確認する行為として、海外ではハグや頬へのキスなど身体的接触を伴う挨拶をする習慣がある地域もあるが、現代の日本では、そのような「身体的に触れあう」ことを恋人や家族以外と(あるいは家族でも)することは基本的にない、とされている。

一方で、国境を越えた「移住」も広がり、結婚をしないひとも増え、家族だけでなく地域や企業のあり方も変化して「個人化」が進んでいる。日本でもこれから、心身のケアを支える「身近な他者との信頼や安心感」を育む方法や習慣の重要性が高まるのではないか?

*このレポートに出てくる「身近な他者」という言葉は、学校や職場などで友人や同僚として日常をともにした経験がある人たちを指している。今回のゲストの大橋さんも、学生時代にゼミのイベントなどを通じて交流があったが、昨年まで10年ほど会う機会がなかった「身近な他者」のひとりだ。

「触れる/触れられる」ことを試す

そして当日はここで、上本が大橋さんと一緒に試してみる形で、他者と「触れる/触れられる」ことからダンスを始めていく「コンタクト・インプロビゼーション(CI)」の紹介を行った。

最初に、上本から以下の通り簡単に説明して、実演スタート。

自分は今、大橋さんとこれぐらい離れた距離で話してます。
お互い結婚相手もいる2人が、たとえば手をつないで一緒に道を歩いてたら日本だと変に思われるので、これまで大橋さんと触れあうような経験をしたことはないですが…(会場 笑)
先ほどの『ケアの循環』の視点に立てば、「触れあう」ことができる関係の人が「家族」以外にいることは、良いことなはず。
なので今から、CIで普段しているように、ちょっと色んな感じで大橋さんに触れたり/触れられたりしてみます。

大橋さんとのCIの実演を見てもらった後、これまでの話も含めてどのように感じたか、参加者の方々に話を聞いた。

自分たちの北千住のスタジオのクラスに通ってくれている参加者からは「CIを初めてしたとき、自分のからだと相手のからだがひとつにつながったような、とても不思議な感じがして、安心感があった」という話が出て、大橋さんからも「最初は違和感がありそうと思ったけれど、相手のからだと触れたら意外と安心するんだとわかった」との話があった。

また別の参加者からは「CIを初めてやったとき、相手がたまたま知り合いで同じ男性だったけど変な感じもなくて、普通はたいていのことは忘れてしまうけど、このときのCIの相手が誰だったか今もよく覚えているので、強く記憶に残る体験だったのは確かだと思う」という話もあった。

そしてCIを初めて知った、高齢者医療の研究を主に手掛けている医師の方からは、今回見せてもらったことだけでは何も断定できないけれどと注釈があった上で、以下のコメントがあった。

人にはそれぞれ守りたいパーソナルスペースと呼ばれるものがあるので、人によっては他者との身体接触に拒否感を感じる人もいるだろうから、やりたくない人に無理に進めるものではないとは思う。
ただ逆に、身体接触にトラウマのようなものがあったり、認知症のように他者との関係を結ぶことに課題を抱えてたりする人の状況を、緩和したり改善したりする効果が期待できるのかもしれないと思った。

『安心できる身体』を持つ難しさ

このパーソナルスペースに関わる話として、CIの経験がある他の参加者から、具体的なエピソードとして以下の話があった。

CIは、2人組になってお互いのからだに触れて支えあう動きがあるので、自分のからだが「信頼や安心感」を相手に与えられてないと、きっと上手くいかないだろうなと感じる。

自分は「男性」で「オヤジ」なので、特に女性とCIをやるときに、自分のからだは『安心できる身体』だろうか、とどうしても考えざるを得ない。つまり「何か嫌な印象を与えているんじゃないか」とか「一緒にCIを踊りたくないなと感じさせてしまっているんじゃないか」とか気になってしまい、ハードルが高いといつも感じている。
もちろん実際には女性とCIをすることもあるけれど、昔から男性と踊ることのほうが多い。やっぱり初対面の女性とだと抵抗があるというか、遠慮がでてしまい、十分に自分の身体性を発揮できないので、男性と組んだ方が正直ほっとする。

なので、どうすればできるのかは自分はわからないが、CIもケアも身体接触があるので、相手にとって『安心できる身体』をどのように構築していくことができるか、という視点が非常に大事だと思っている。

参加者からは、他にも様々なCIの体験にまつわる話を聞かせてもらった。
そのなかで「認識と現実の身体性が乖離してしまったとき、CIは他者のからだを通じて、自分自身のからだとあらためて出会う機会になる」という話が出て、セラピーやマインドフルネス、ヨガなどとの類似性も話題になった。同時に、そのような既にケアの現場で行われている取り組みとは異なる、CIの特徴は何なのか知りたい、という意見も出た。

家族が「離れて暮らす」意味

後半、参加者の方から自己紹介とあわせて、それぞれの「家族」についての考えや実体験を語ってもらった。
実家のある地元で就職することも少なくなった今、親と同居している人が少ないのは一般的なことだろう。だが今回の参加者からは「夫婦で同居しなくなった」という話も、何人かから語られた。実家を出てから家族をつくってない人、親の介護を終えた人、夫婦のみなど、ミニマムな形で暮らす人も多くいた。
「家族」が離れて暮らす理由は個々の家庭によって様々だが、なんとなく持っているイメージ以上に、家族の在り方が個々のレベルで多様化していることを実感した。

そして、ケアの現場に研究の視点から関わる医師や臨床心理士からも「家族と離れて暮らすことの大事さ」について語られたことが、印象的だった。
その理由について、専門的な視点から以下のとおり解説があった。

家族を物理的・心理的に引き離し、外から客観的に眺めることができるようにして、それぞれの位置関係を再構成して問題を収めていく『家族の外在化』は、通常は自然に起こるもの。そのようなことが上手く起きない場合、カウンセラーが家族療法として外在化を手助けすることもある。

vol.1 での気づき

ネットなど通信技術の発展で「情報によるケア(話す・教えるなど)」を行うことは以前と比べて格段に簡単になったが、様々な理由で『身体性を共有するケア』を家族(または自分自身)が必要とする場合があり、そのときは現在も「家族と離れて暮らす」ことは難しい状況にある。

一方で、それぞれが語ってくれた実体験からも伺い知れる通り、現代では家族だけでケアに関わるすべてを解決するのは無理がある。
そのため大橋さんの話に出てきた『ケアの循環』のように、多様化している実の家族関係と、医療や介護、保育などの専門従事者だけではなく、その外にいる様々な立場の他者とともに『身体性を共有するケア』を行う認識を深めていく必要があると、再確認できた。

そしてケアの現場に関わる研究者から紹介があった「家族の外在化」による効用を裏付けるように、個人の移動の自由が高まった日本では、想像以上に「家族が離れて暮らすこと」が一般的になっている。

ともに暮らす家族が減り、家族以外の誰か(=他者)と『身体性を共有するケア』を行う必要性が高まるなかで、CIの現場に見られるような、他者に「触れる/触れられる」ことを実践する機会へのニーズが生まれてくるのではないだろうか。

次回に向けて

今回のvol.1では「これからの『家族』」をテーマに行った対話を通じて、他者に「触れる/触れられる」ことを体験するCIのような身体技術と、カウンセリングや高齢者医療、介護予防などのケアの現場の関わりについて、様々な可能性が示唆された。

同時に「ケアもCIもからだに触れるので、相手にとって『安心できる身体』になることができないと、難しい」という声があがったように、身体性を共有するケアやCIを「身近な他者とできること」として認識してもらうには、越えていかなければならない課題もある。

そのため次回 vol.2 では、今回出てきた課題についてさらに議論を深め、CIの手法が『身体性を共有するケア』を必要とする場面でどのように活用可能か、参加者の方とともに実践につながる具体的なアイデアを検討していきたいと思う。

(vol.2は『安心できる身体』をテーマに3月末、vol.3は『モノ:ロボットの身体性 (仮)』をテーマにGW前後に実施予定です。)

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