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本当と本質はどこに宿る①

仕事が一段落したので、5日間の遅い夏休みをとることにした。
だがしかし、5日間でできる「行ってみたいところ」や「やりたいこと」が思い浮かばない。

南米に行きたいな、とはずっと思っていたけど3週間後の休みなので、いまからパスポートをとりに行っては間に合わない。
屋久島のツアーも探してみたが、人気の旅行スポットのためか、予算に見合った安いプランは軒並み売り切れ。高額で優雅なプランしか見つけられず、台湾や韓国の方が安く行けそうだった。

そこで僕はgoogle先生に聞いてみた。


予算や期間を考えると「国内」だろうし(パスポート持っていないし)、人が多いところに独身中年男性が一人で紛れ込むには度胸がいる。
一人旅、穴場、国内。
こんなワードに「温泉」「パワースポット」なども散りばめつつ、旅行サイトやそれに近しい紹介記事やblogを漁ってみる。
良さそうなところを見つけると、google mapやInstagramで一般ユーザーと思われる投稿から信憑性をさぐり、PRに資本に左右されている偏った情報(いわゆる「インフルエンサー」や「案件」といわれるもの)を避けて”偏った情報”ではないだろうかと検討する。

さてそんなとき、iphone 15なるものが発表された。価格は124,800円だそうだ。



かく言う僕もご多分に漏れずiphoneユーザーだし、パソコンもMac Bookを使用しているのだが、常日頃「なぜこんなに高額なものに選択肢が少ないのだろう」と考えていた。
携帯電話の機能は最低限できることでOK!もちろん安価なら尚よし!としていたので、以前はandroidを使用していたのだが、デザインの気に入ったスマートウォッチを購入したとき、アプリがiphoneにしか対応していなく仕方無しに変更した。
それまでもandroid携帯を見られるたびに
ソレどこの携帯ですかwww
なんでiphoneにしないんですかwww

と、若い子に含み笑いで草を生やされていた。二周り近く離れていたこともあって、流行に鈍感な世代に見られているのだろうという被害者意識もあった。

iphone(applle)ならこんなこんなことができる!

というコピーに精神支配され「いまはこれが流行っているのですよ」と枠にはめられている感じがとても嫌だった。これも被害者意識なのかもしれないけれど、様々な規格が選択肢を狭めてしまっていて、多様化され便利になっている世の中は実に窮屈なのではないのかと思うようになっている。

さて前述した休暇の過ごし方に話をもどすのだが、googleに聞いてしまっている時点で、「僕は本当にやりたいことをできるのだろうか?」という疑問にたどり着いてしまった。
そもそも「やりたいこと」などなかったのではないのだろうか?
週5日以上、心身削りながら社会に貢献し、それ以外の時間を「豊かにするため」「人生を幸福に過ごすため」に生きていたのではないのだろうか?
余暇の過ごし方を、他者や大衆に聞き、カタログから選択していることは、自由意志ではなく、売られている商品を選択しているだけではないのだろうか??
iphoneという一強しか選択肢がない携帯電話しかり、余暇の選択肢も「流行っている」もののなかから選択するしかないのだろうか??

続く

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