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憧れのアーティストに会えた話 〜LUNA SEA編③〜

LUNA SEAのINORANファンとなった俺は、それまで弾いていたベースを置き、ギタリストになった。

というのも、LUNA SEAのコピーバンドをやりたかったのだが、INORANパートを任せれる人がいない、というか自分で弾きたいという欲求があり、そして幸運にもLUNA SEAモデルのギターがESPから発売されるというベストタイミングだった。

それからひたすら耳コピをし、地元ではまだBOOWYやジュンスカなどのコピーバンドばかりの中で、まだスコア(楽譜)も世に出ていないLUNA SEAの完コピバンドをやり、持ち曲は20曲を軽く超え、LUNA SEAのコピーだけでワンマンをやるなど地元ではそこそこ有名になった。


LUNA SEA熱、バンド熱、ギター熱は冷めず、高校を卒業後も就職はせずに東京へ出た。
あの日、LUNA SEAの初コンサートへ一緒にいった友人、前にも書いたべんべ、そして、今も東京でabout tessというバンドをやっているベーシストのKANZと。
残念ながらべんべは病により地元へ帰ることになったが、KANZとはその後もしばらく一緒にバンドをやっていた。

バイトをしながら数年が経ち、東京の一人暮らしにも慣れ、引越しも経験し、いくつかのバンドもやり、それでもまだ変化の乏しい生活の中、LUNA SEAが活動停止、メンバーはソロ活動へと移っていった。

そして俺はメンバーのソロアルバムの中に宇宙を見ることとなる。

SUGIZOファーストソロアルバム"TRUTH?"
なぜかリリースからだいぶ経って入手したのだが、そのアルバムのラストに収録されている"LUNA"という曲の世界観に心を打たれた。

そもそもが宇宙モノ全般に弱い俺は、楽曲に宇宙を感じるなんて経験は初めてで、さらに曲中に聴こえてくる赤ちゃんの笑い声に、生命の神秘や輪廻転生、万物の奇跡を感じ、ノックアウトされた。

そして、INORANファンだったにも関わらず、

「SUGIZOと話してみたい」

と純粋に思った。

アーティストとして、作曲家として、ギタリストとして、急速にSUGIZOに惹かれていった。

この"純粋に会いたいと思った"という感覚が、とても不思議な感覚で、好きなアーティスト、憧れのギタリスト、という対象ではなく、なんというか、うまく言葉にできないんだけど、本当にピュアに、ただ"話しがしてみたい"と思った。

この不思議な感覚は初めてのことであったが、この思いが身を結んだのか、ここから奇跡の連鎖が起こることになる。


当時の雑誌FOOL's MATEにSUGIZOプロデュースの"REDЯUM"というバンドの記事が載っていた。

「へぇ〜そんなバンドがあるんだ、女性ボーカルかぁ」

なんて思っていた矢先、たまたま近所のリンキーディンクスタジオ西荻窪店に立ち寄ったところ、スタジオの壁にそのREDЯUMのフライヤーが貼られていた。

えっ!?あのバンドじゃん!

店員さんと仲良くさせていただいていたので、なんであのフライヤーが貼ってあるのか聞いてみた。

すると

「うちのスタジオ使ってるんですよ、」

なんと!!!
しかも次の言葉にさらに驚く

「ていうか今(部屋のほうを指差し)入ってますよ」

まさかの偶然、たまたま立ち寄ったスタジオに、あのSUGIZOプロデュースのバンドが使っていて、今まさにリハーサルをしていると!

こんなことがあっていいのかと動揺、混乱、どうしよう。。


そして、この時の行動と選択が人生のターニングポイントとなる。


つづく


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