見出し画像

女が道具だった時代。

***この記事は、aba代表の宇井が個人的に書き綴っていたものを加筆修正し転記したものです。***


介護施設をいくつか回る中で、夜勤に同行させて頂くことがある。

夜は時間がたっぷりあるので、日中できないような込み入った話をする場合もある。

今日はその中から、利用者さんから伺った打明け話について、お話する。

「私はね…娘が3人いるんですよ。でもね、妊娠は5回したことがあるの。」

「流産されてしまったんですか…?」

「いえ、おろされたの。それも自分の旦那に。」

私は話の意味がうまく飲み込めず、ひたすら目を見開き続けた。

「旦那はね、男の子がほしかったのよ。でも私、3人とも女の子を産んだから、お前は女しか産めない体なんだと言われて、あとの2回の妊娠は、強制的におろされたの。」

「悲しかったわ…産んでみなきゃ男か女かなんてわからないのに、麻酔で眠らされて強制的に。次に目が覚めたら、私は変な和室に寝転んでいたの。」

「今はいい時代になったわね…産むもおろすも、女の人がある程度決められるようになった。それと離婚もね。」

「私はそんな旦那と、別れることもできなかった。離婚は恥だから止めなさいと、両親は理解してくれなかった…。あの最低な男を、看取るところまでやったのよ…」

「あの男は、女を道具としかみていなかったのよ。」

終始5回ほど、最後のこのセリフを繰り返された。

「あの男は、女を道具としかみていなかったのよ。」

女性の人権については、今も世界中で議論されている。

けれどこの方の話を聞くまで、わたしにとってはどこか遠い国の話にしか聞こえていなかった。

たった半世紀前に、この国でこんなことが、こんな思想があったことが信じられない。

この日の夜勤からそれなりに時間が経っているが、私は未だ何も咀嚼できていない。

話が全て終わった後、非常に穏やかな笑顔で

「くだらない話をしてごめんなさいね。」

と言われた瞬間、この人生の凄みを感じた。

道具として扱われ、それでも女として生き、時間が経ってもなお失くした我が子を思い続ける。

あの穏やかな笑顔が、頭にこびりついて離れない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?