児童相談所のせいにするのは、"傍観者効果"?池田詩梨ちゃんの死について考える

<北海道で起きた池田詩梨ちゃんの衰弱死事件について>
前回のnoteデビューから初投稿になるため、スタートらしく「abaとはどんな会社か」などを書く予定だったのだが、個人的に火がついたニュースについて、差し込みで書くことにした。
これは、後々話していく、abaのビジョンである「支え合いが巡る社会を作る」の必要性にも通じる、バッドニュースだと思っている。
https://www.aba-lab.info/vision

<誰だってこのママになる可能性がある>
北海道で起きた詩梨ちゃんの話を見ていて、そもそも詩梨ちゃんのママのような状態には誰だってなり得る、ということを肝に命じたい。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45879130Y9A600C1CZ8000/

わたしの場合、夫がいて、双方の両親が健在で、保育園に入れてて、近所のママさんに預かってもらってて。
それでも、精神的にいっぱいいっぱいになったりする。
子育てって、それくらい大変なことだと思う。

事件の全貌は現在も調査中だが、24時間運営の保育園に丸2日預けてしまうとか、ママさんが限界にきている予兆はいくらでもあったはず。

先日、心理学の本を読んでいたら、その中に以下のような事件が取り出されていた。
https://www.excite.co.jp/news/article/Sinkan_index_4883/

女性が男性に襲われ、そのまま殺されてしまったのだが、なんとその時目撃者は38人もいたのだ。
目撃者たちは、むしろ38人も目撃者がいたからこそ、「自分以外の誰かが助けてくれるだろう」と思い、傍観を決め込んでしまったらしい。
これが、集団心理における「傍観者効果」というものらしい。


詩梨ちゃんの件だけでなく、私たちは普段どれだけ、傍観者にならず、当事者意識を持っているだろうか。


ニュースを見るたび、「児童相談所はなにをしていた」という、児童相談所への非難を目にするが、この言動もまた、わたしには傍観者効果に見えて仕方がない。
児童相談所という"目撃者"がいるからと、私たちはどこかであぐらをかいてしまっていないだろうか?



本当に幼い命を、守れる命を助けたいと思うならば、私たちみんなが、傍観者効果から脱出する術を、真剣に考える必要がある。
まずは自分が普段接している人たちに対して、何か心配だなーと思ったら、お節介おばさんと言われてもいい覚悟でドンドン関わっていこうと思う。

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