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首里城の今⑤【2022年4月】

2022年4月25日、首里城に行ってきました。
2月、3月に来た時は雨でしたが、この日は晴れ。首里城に植わっている月桃の花が咲いていました。
月桃の花が咲くとそろそろ梅雨がやってきます。
天気もいいし、と今回は弁財天堂にも足を伸ばしてみることにしました。

奉神門から見た正殿

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定点観測で奉神門から撮影。
これから再建される正殿をすっぽり覆うように素屋根が設けられ、倉庫・木材加工所が立てられます。その土台らしきものが御庭(うなー)にできていました。
工事用の資材があちらこちらに積まれ、御庭が狭くなっています。
以前に比べ、狭く感じる御庭を職人さんたちが忙しそうに歩き回っていました。

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ぐるりと御庭を囲っている工事用の壁が変わっていました。
職人さんの仕事の様子が描かれています。再建の様子が時系列に並んでいます。
今後、倉庫・木材加工所が完成すれば、壁に描かれているような職人さんの姿が見学できるようになるはずです。倉庫・木材加工所は2022年夏ごろ完成予定とのこと。

東のアザナから

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園内に工事用の車両や資材が増えてきていますが、前回と同じように向かい側の奉神門は見え、特に大きな変化は感じませんでした。
東のアザナは高い台にあり、天気がいいと風が気持ちいいです。

弁財天堂へ

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久慶門(きゅうけいもん)から、芸大向けに少し歩くと弁財天堂があります。円鑑地(えんかんち)は1502年、尚真王(しょうしんおう)が掘らせたもので、かかる橋は天女橋です。天女橋は国指定重要文化財に指定されています。
この池には首里城や円覚寺からのわき水や雨水が流れ込むようになっていて、龍潭(りゅうたん)につながっています。
弁財天堂は1609年の薩摩の侵攻で破壊されましたが、1621年に再建。その後、1945年の沖縄戦で破壊されました。沖縄戦で天女橋は傾いて欄干が落ちましたが、奇跡的に残っていたそうです。尚真王も天女橋を渡ったことがあるかも、と考えるとちょっとわくわくします。

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沖縄が米軍統治下から日本に復帰したのが1972年。復帰前の1968年に弁財天堂の復元工事は行われました。
弁財天堂にあった記念碑には工費は11800ドルと記されています。
母の昔話で「復帰前、1ドルあれば、那覇までバスで行って映画を見てそばを食べて帰ってこれた」と聞いたことがあります。11800ドルって当時、なかなか大金だったのでは…。復帰前だと道路や建物などの社会基盤もまだまだ整備されていなくて大変だったと思います。
事業者は弁財天堂復帰期成会で会長は具志堅宗精氏。具志堅氏はオリオンビールの創業者です。オリオンビールのほかにも醤油製造会社の赤マルソウなどを興した「沖縄財界四天王」の一人です。

次も晴れたら首里城周辺の文化財を散歩しようと思います。
でも、5月は梅雨入りしているはず。晴れますように。

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