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男性の果たす壮絶な役割

毎朝、ぎゅうぎゅうに混んでいる電車に乗って仕事に通っていると
ほとほとうんざりする訳ですが、そんな中にあっても、男性というのは
すごいものだなと感心して眺めています。

冤罪やら何やらという不穏な言葉も飛び出してくる事情があるとはいえ、
同じ車両に乗り合わせている女性にちょっとでも不信感を抱かれては
ならぬ!という意思と気遣いを、扉の上のほんのわずかな桟を必死で
つかむ指先
から感じます。女性の方に倒れかかってしまわないように、
自分の体重と後ろから雪崩のように押してくる他人の体重を、プルプル
震える腕で必死に支え、扉や壁面(そして女性)との間に適切な距離を
保とうとしている
姿を見るだに「なんて大変なんだろう。申し訳ないな」と思うのであります。

そしてそれを「俺たち、頑張ってるんだからな!」と声高に言わないところにある種の矜持と男性ならではの優しさを感じるのですね、私は。
ずいぶん前に、男性が「持たされている」自分のキャラクターに沿わないで
あろうお弁当の袋の素敵さをちょっと書いたことがありますが。そう言った
ものにも共通するのは、男性が静かに耐えて、時には「てへへ」と照れて
笑って、ないもののように済ませてくれているお陰で、なんとなくうまく
いっていることって意外と多いんじゃないかなぁと。女性はその空気の中で
それに守られていることに無自覚のまま、何となく颯爽と歩けているような気がしていることもあるのではないかと。
そういうものを私は今後もホジホジして行きたいのでありますが。

男性って壮絶な役割を担っているな、と思っていて、それを最近また感じる
出来事が立て続けに起きています。本来ならば起こってほしくないことでは
あるのですが、大津で起こった自動車事故のようなことです。痛ましい事件
は内容そのものを見聞きするのはなるべく避けているのですが、事故の
後に被害にあったお子さんのお父さんがメッセージを出された、というのを
ニュースで読みました。

こういう時、報道陣に対応したり、メッセージを出したりするのって、
ほぼ100%お父さん(または男性の親戚だったり)だな〜と私はぼんやり
思っているのです。お母さんや女性というのは、どちらかというと感情を
受け持つ人々なので、そんなメッセージなんて出している余裕はないで
しょう。ご自分から生まれたいわば分身のような存在がいなくなって
しまう、しかもそれが病気などではなくて、誰か他者の手が加わるという
受け入れがたい方法で。そんな時にメッセージなんて、本当ならば出さなくてもいいくらいのものです。深く悲しみに浸って、他人のことなんて全く
考えなくっていい、それがもちろん正解だと思います。

それでも、お父さん(や男性たち)は、自分の受けた傷や深い悲しみに
鞭打って
、外の世界の人たちへ言葉を届ける。そこには壮絶な覚悟と
女性のそれとはまた違う形の愛が滲んでいるように私には思えます。
悲しくないはずなんてないでしょう。でも、そういう対応を誠実にする
ことこそが、きっとお父さんたちにとってはご自分の愛する存在に
対する「大切に思っている気持ち」
の表れなんじゃないかなと。

どちらが優れているとか、どっちの愛情表現の方がいい、という話では
ありません。ただ、違っているのだろうなというだけです。お母さんや
女性にはその立場での愛情の表し方があって、お父さんや男性には
その立場での不器用な愛情の表し方がある。お母さんや女性が感情面を
受け持ってくれるから、外に感情を出せないお父さんたちが代わりに
感情を外に出してもらうことができる。反対に理性や論理という、
自分に対して厳しい方法で、つながりを保とうとする冷静で穏やかな面に
お母さんや女性が気持ちを整理する時間をもらえる、ということもある
のではないかと。

うまくまとまらないのですけれど、そんな見えにくい男性の壮絶な
想いみたいなものを感じてしまい、どうしても残したかったので
書いてみました。


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