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イマジン

朝日新聞のGLOBEという日曜限定の小冊子(?なんて呼ぶのが正解?)
に、広島でハーブ専門の農園を経営している梶谷譲さんという方の特集が
載っていた。

大変興味深い経歴と、パワフルで前向きな情熱を持った方なのだろうなと
思い、その方ご本人も面白い方だな〜と思った。会いたいと思った人には
すぐに会いに行くという行動力と、フランスのレストランのシェフから
受けた助言をためらいなく即実行する素直さ。その両輪がかみ合って、
この方の人生を深いところへと導いているのだろうなと感じた。

梶谷さんの人生のストーリーそのものが、非常にユニークで面白かった
のだが、私は途中で挟まれた親御さんとのエピソードが最も心に残った。

彼がまだ幼い頃、お母さんが彼を背負ってあぜ道を歩いていると、
蛍が飛んでいるのを見て「星が落っこちてきちゃったね」と言ったと
いうのだ。

星つながりで思い出すのは、数年前、これも新聞に掲載されていたのを
たまたま読んだ、高橋書店の【手帳大賞 第15回】である。
この時の椎名誠賞が私の一番のお気に入りだ。

https://www.takahashishoten.co.jp/techotaisyo/archives/


想像力、というものはとかく「ムダなもの」みたいに考えられがちだ。
そもそも合理化とかいうのが叫ばれている昨今では、そんな夢みたいなこと
言ってないで、と一刀両断されてしまうものなのかもしれない。
でも、想像すること、特に幼い頃にそれをしている人とそうでない人と
では、大人になってからが何か変わってくるのではないかなと私は思う。

個人的な話で恐縮ですが、子供時代の自分のことも思い出した。
我が両親もなかなかに放任主義だったと記憶しているが、子供の
ハチャメチャな想像力には割と根気よく付き合ってくれたように思う。

例えば坂にある車の滑り止め(車を運転しないため正確な名前が分からず)は、我々姉妹の間では「プリン」認定されていました。形がお皿に乗せた
プリンに似てるからです。結構な狭い間隔で大量に配置されている
プリン達。幼稚園児のまだ小さな足とは言いつつも、それを踏まないように(ほら、プリンだから。踏むと潰れるという想像上のルールがあるのです)よけて歩ききるというドキドキの架空ミッション。車が来てしまう時以外は
「そんなことやってないで早くしなさい!」と急かされた記憶はない。

またファミレスに行く時には、家から大通りを10分ほど歩いて下っていくのだが、そこを下りながら、我が父は左手を腰の後ろに当て、右腕を顔の前でぶらぶら揺らし、腰を少し曲げて「♪一人のぞうさん雲の上〜」(何の歌
なのか謎。しかも、象なのに一人と呼んでいたり、象なのに雲の上にいたりと、様々な破綻がありますが、まあ良しとして)と歌いつつ歩きます。
その後ろを同じ動作をしながらついていく子供2名。

そこは車がビュンビュンひっきりなしに大量に通る道路だったから、
前傾姿勢のおじさんと子供2人がヘッドライトに照らされた時、
ドライバー氏たちは少なからず「ひっっ」と思ったであろうが、
我々の頭の中では、親象と子象2頭以外の何物でもないのである。
いたって真剣。

梶谷さんのお母さんが、その時何と言って返事をしたのかまでは書かれて
いなかった。でもきっと「あれは星じゃなくてね」などと否定的な言葉は
返さなかったのではないだろうか。手帳大賞のちびっ子の発言を聞いた
ばっちゃんも「そんなこと言うもんじゃないよ」とは言っていない
気がする。

イマジネーション(特にちびっ子の)が許容される世界、というのは
大人側に余裕や余白が残っている世界ではないだろうか。

そして、幼い頃、心に生まれた想像力や、想像的な言葉を周りに
きちんと受け止めてもらえたちびっ子たちは、自分が大人になった時、
次のちびっ子たちの想像力もまた「おもしろいね」と受け止めて
あげられるはずだ。

ちびっ子たちの想像力に、ガハハと笑える自分でありたい。

もしサポート頂けたら、ユニークな人々と出会うべくあちこち出歩きます。そうしてまたnoteでご紹介します。