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人生サーキット理論

人生を道に例えることがある。起伏に富んだ道のようだ、と。その道は、長い長い1本道で、生まれてから死ぬまで、ただひたすらに前に続いている道。そんなイメージだろうか。

しかし、これ、一本道というよりも、ある程度の長さを持ったサーキットのようなものなんじゃないか?というのが僕の見解だ。しかも僕らは、サーキットを何周もしている。何周もしているが、一周あたりの周期が3年だったり5年だったり、あるいは10年だったりするので、さも初めて走った道のように思えるのだ。

人生サーキット理論を主張したい。

仕事に例えてみよう。20代はとにかくサーキットのコース上を走ることにがむしゃらだった。しっかりハンドルを握っていないとコースアウトしてしまう。コーナーを曲がりきれずギリギリの瀬戸際を走ることもあった。アクセルやブレーキの使い方もおぼつかない。いたずらにタイヤを消耗させたものだ。

30代にもなればサーキットも2周目だ。周りの風景に目をやる余裕も生まれる。ああ、この道沿いには、こんな看板が立っていたんだな、と。同じ道だったはずなのに見え方が変わってくる。コースの予測もできるようになってくる。下り坂がこの距離続くということは、もうそろそろ上り坂になるころだろう、ほら来た、勾配がキツイな、といった具合だ。急カーブだって冷静に対処することができる、1周目の経験が活きてくるのだ。早めのブレーキ、アウト・イン・アウト。

30代後半は、3周目、4周目かもしれない。1周目のあたふたを受けて、2周目で走りを修正、3周目、4周目では経験がさらに武器になる。どこまで攻め込めるのか限界を探る走りかもしれない。そしてラップタイムの自己ベストを知るのだろうか。

どうだろう?人生は、サーキットのようなものじゃないか。
(と、ここまで書いて、人生なんていう不定形のものは如何様にでも例えられるな、ということに気づいてしまったが、まあ、いい。)

そして僕は今日から40代に入った。

このサーキットは何周目なんだろうか。あのヘアピンカーブ、次はもっと軽やかに抜けられるかもしれない。あのストレートの区間最高速を更新できるかもしれない。それよりも、後続する若手により良い走り方を伝授できるかもしれない。

自分はこれから、このサーキットをどのように走れるのか。楽しみである。

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