陸上を始めたきっかけ〜中学〜

僕は秋田県の大自然の中で育ちました。一言で言うのであれば、『クソ田舎』です。

なかなかその田舎度が伝わらないと思いますが、、

・実家は携帯電話が繋がらない
・小学校の同学年が8人
・中学校の同学年が32人
・自宅前をツキノワグマが通る
・自宅にタヌキが勝手に入ってくる
・自宅の水道は、沢水を引いている。夏は温くて冬は凍る。雨が降ると泥水が出てきて、沢ガニの子供がでてきたこともある
・食卓は朝に採った山菜と野菜ばかり

こんな感じでしょうか笑
古き良き田舎でした。自宅前の車通りは一切なく、お盆に帰省をすると道路に新聞紙を敷いてひたすら流星群を見るのが唯一の楽しみです。

自宅前の景色です。
2017年8月の帰省のときです。朝は涼しくて霧がかっていました。このくらいクソ田舎です。

さておき、野球少年だった僕。
ピークは小6くらいかな?笑

軟式の秋田県中学大会で4試合連続完封で優勝投手になって、東北高校に進んだ子に小6のときに投げ勝ったのが唯一の自慢ですね!笑

こんな中学生でした。ヒットを打って喜んでます笑

7年間も続けた野球でしたが、身体が小さく甲子園に行けそうにないと気付いたとき、

都大路に行く

という夢を持ちました。ただ全国大会に憧れがあっただけで陸上長距離なんて練習もしたことがありませんでした。
甲子園に出られないなら都大路に行く!』これがきっかけでした。

学校のマラソン大会で1番なことくらい。それだけの自信でした。

中学では陸上大会にだけ出るのみで、練習はしたことがありませんでした(学校の特設部)。野球の練習でたくさん走っていたので、なぜか陸上部に負けないという自信だけはありました。俗に言うお山の大将的なやつです。笑

長距離選手にとって基本である400mトラック1周72秒で走ると1km3分ペースというのも知りませんでした。

陸上競技について、右も左もわからない僕が名門の秋田工業高校に進んで痛い目に遭います。笑

もちろん『クソ田舎』から出て行って、jogをしていて信号機の仕組みにすら戸惑うのでした。。。


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