実業団〜小森コーポレーション(後編)

前編では主に小森に入るところまで書いたので、大事な競技の部分に触れたいと思います。

結果としては、選手生活4年で終わりを迎えました。

その時の想いや気持ちはのちに書きます。いま改めて振り返っても、新鮮な文章ではないのでやめておきます。

いちおう、実業団選手時代の結果を振り返っておきましょう!

といっても、なにも胸を張れる結果を一つも出していませんが…


まずは、ニューイヤー駅伝から話しましょう。
印象はないと思いますが、社会人1年目実は1区を走りました!!


結果は区間31位。。
記念大会で参加チームも多く、スローペースで進みました。人生初の1区に緊張の塊でした。中学から駅伝をやっていますが、なんせ1区は人生初!!監督に打診され、『人生で初めてですが大丈夫ですか??』と監督に聞いていました。その時点で気持ちは負けていたのでしょう。

ラスト2kで離れて先頭の日清食品若松さんとは31秒差でした。全く戦えなかったことを今でも鮮明に覚えています。

社会人になり、自分で制御しなければいけないことは増えました。大学のように管理されることはありません。そういった甘さが自分にあったと思います。それによる競技力低下と指摘されても異論はありません。大学時代のように思うように走れない、感覚が掴めない、そのような毎日でした。

それと同時に、大学4年生、箱根駅伝前からアキレス腱痛が再発し、社会人となってからその痛みが消えることは、ありませんでした。

本当は90分jogしたいけど痛みがあるから60分したり、飛ばし飛ばしの練習で継続できなかったり。

要は実力が無いのに怪我が多ければ走れません。思うように練習が積めなければ大会で結果が出るはずがありません。

そうして4年間の選手生活は終わりました。

そうした通告を受けたときは今後の人生が見えなくなって、一瞬思考が停止し頭の中が真っ暗になったことだけは覚えています。

簡単であったが実業団選手生活を振り返るとこんな感じでした。

そして改めて文章を読む習慣が乏しい私は文才はないし、下手くそ。ただ、まあ自己満てきな振り返りだったのでこれにて自己紹介は終わり!!

次は少しずつランニングについて思ったことを書きていきます。




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