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今ここを踊る

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縁起生空の真意

縁起生空の真意

古い日記だが、転載しておく。

縁起生空の真意

 人生後半にいくつかの課題に決着をつけたいと思っている。そのうちのひとつは「縁起生空」の真意という課題である。

 仏教では、空性と名付けられるものが何かあるわけではない。ただ仏教は「一切は縁起生だから空である」と叙述しているだけである。

 この場合の縁起とは十二縁起以外ではありえない。したがって、ジョアンナ・メイシーが八千頌般若経を典拠に語ろう

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人生最大の罪?

人生最大の罪?

だいぶ前の話なんだけど、ショッピングセンターの障碍者トイレの便器を尿で少し汚してしまった。体調よければ自分できれいにして出られるんだけど、今、そういう作業をしようとするとトイレ内でひとりで転倒するかもしれないと思った。それで、ま、いいか、次の人が健常者か、介助者付きならなんとかできるだろうと思って、外に出た。

すると、その外の廊下から広い通路に出たあたりに、お父さんらしき人と小学校低学年ぐらいの

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天から地獄まで 果てしなき輪廻

天から地獄まで 果てしなき輪廻

23歳のときにつきあっていた女性(27歳)を僕が振って、数年後、彼女は自殺しました。
彼女の友人からはあなたが殺したという長い電話が何回もかかってきました。
ある日の瞑想中、僕は重い鉄の壁に挟まれて永遠に出られない状態になりました。
それは今までに犯した罪のせいであり、実際、彼女も死んだ。当然の報いが返ってきているだけであり、仕方ないと思いました。
その鉄の壁を受け入れた瞬間、そこに一輪の花が咲い

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透明人間における自己と非自己

透明人間における自己と非自己

子どものとき、ジュール・ベルヌの「透明人間」を読んで、僕は迷宮に入ってしまった。
それは自己とは何であり、非自己とは何であるかについての、自己こそが透明であるがゆえの逆転した「境界の思索」であった。

透明人間においては自己が透明であり、非自己が可視的である。
上着を着れば上着だけが見え、ズボンをはけばズボンが見える。その上に帽子を被り、サングラスをかけて、マスクをつけ、靴を履けば、もはや殆ど透明

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カルト論 すべての宗教固着を超えて

カルト論 すべての宗教固着を超えて

僕は結婚していたとき、妻子にバグワンのサニヤシンになるように薦めたことなど一度もない。講話を読むように言ったこともない。親鸞についても同じ。

友達や元恋人はいっぱいサニヤシンになったが、僕が薦めたわけではない。

高校生のときの彼女に「後輩が統一協会に入ったんだけど、脱洗脳して」と頼まれた。僕は大学の民青(ふだんはお前らマルクス読んでないし、、、と仲悪かった)に資料を借りに行って、読み込んでから

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山水人レポート

山水人レポート

山水人は公共交通機関で行くのが大変すぎる。

が、ちょうど最終日、よりちゃんとゆりちゃんが高島町のペンションに行くと言っていたので、少し距離あるけど、ドロップ&ピックアップしてもらうことに。

ところが、ペンションの主人がコロナでお休み。

結局、ゆりちゃんがお祭り行きたい言うから、よりちゃん、ゆりちゃんと、一日、山水人を一緒に楽しんだ。

ゆりちゃんは、普段からほぼ山水人ノリやから、

ここ、楽

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念仏は制作しない人々の芸術である

祈りは制作しない人々の芸術である
というリルケの言葉を「フィレンツェだより」に見つけたのは、
学生時代だった。
親鸞の書いたものなどを読むのを学業にしていた私は、
念仏は制作しない人々の芸術である
と読み替えた。

念仏もうさんとおもいたつ心の起こるとき、完全に解放されるというのは、二種深信のことを言っているという卒論を書いた。
すなわち、自我の力で自我を解放するのは絶対不可能だと思い知ったとき、

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念仏の真意 メモ

念仏ということに抵抗ある人は抵抗ある。
それがどうしても必要なの? と。
その気持はよくわかる。
だから、ここを脱神話化しないと普遍的なものにならない。

具体的にいうと念仏とは南無阿弥陀仏と称えることだ。
南無阿弥陀仏とは、
「超簡単訳 歎異抄・般若心経」の「はじめに」で解説しているが、
amita=否定の接頭辞a(un)+mita(mesure)
つまり英語でいうunーmesure(量ることの

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唱題に本尊など必要ない

唱題に対象としての本尊など必要ない

僕からすると本来「不二」なのが実如。
しかし、人間の認識構造は、色と識の相依相待において(十二縁起の要)二元論的。

ゆえに日蓮遺文「木絵二像開眼事」(1273)(真蹟あり)にこうある。

「色心不二なるがゆゑに而二とあらはれて、仏の御意あらはれて法華経の文字となれり」

これは人間の二元論的な認識構造に合わせて、本来は不二なるものを、主体と尊崇の対象に仮に分

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業の自覚について

親鸞の悪の自覚があのように深かったのは、源頼朝という大殺戮者の縁者であったからだという梅原猛の説を書いた書き込みのコメント欄で私が行った反論。

親鸞の悪の自覚の件ですが、私は梅原猛という人は実はあまり信じていません。
彼は歴史学者としては、様々な歴史的な断片や未確定の事実さえ大胆に結びつけておもしろい?説を作るフィクション作家としての才能はもしかしたらあるのかもしれませんが、人間の自己探求という

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統一協会の思い出

まあ、別に言う必要もないから黙ってたけど、10代のとき、殆どの(←誇張ではない)宗教は無料お試ししました。
統一協会もです。
原理講論の講義も途中まで聞きました。
本は今も持っています。
たくさん意見を言うと、施設長の所へ連れて行かれ、彼は優秀ですと紹介されました。
施設長は黙って僕を見て、何も言わなかった。
講義が終わるといつも無料でご飯を食べました。
最終的にどこがおかしいかの意見をまとめて言

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ツシマヤマネコと無農薬水田

ツシマヤマネコと無農薬水田

田圃に無数のおたまじゃくし。無農薬と一発でわかった。
しかし、なぜ無農薬でやってるかというのは、帰り道に話しかけてきた散髪屋のおじさんに聞くまでわからなかった。
絶滅危惧種ツシマヤマネコの食べ物であるカエルなどの繁殖のためだそうだ。
米の品種名をツシマヤマネコという。
島人が食べる他に、全国の動物園が普通の米の倍の値段で買取っている。
何故、動物園が?
ツシマヤマネコ保全協力だそうだ!
というわけ

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二種深信の超簡単な説明

二種深信の超簡単な説明

あるがままの自己の究極の現実に身を開くこと。それは恐ろしいことでもある。だが、その向こうには、贈られている命のあるがままを生きるかろみと安らぎが広がっている。
(『魂の螺旋ダンス』より)

浄土真宗では結局何をしていても救われるのかという究極の質問に、最短で応える。『魂の螺旋ダンス』からの引用で。これは50枚の論文「念仏もうさんとおもいたつこころ」(1988年暁烏敏賞)を著書の一節に短くまとめたも

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檀家制度の形成

檀家制度の形成

長崎市立図書館で見つけた『葬式と檀家』という本は檀家制度の形成過程の理解に非常に役だった。
この本は長崎市立図書館では借りられなかったから、近々入手して正確にまとめたい。
今、チャラ読みの記憶でまとめるなら、こうだ。
幕府が寺請制度を導入したのは、もともとキリシタン弾圧のためだ。
が、後に年貢取り立ても含め、人民を完全に支配するため、全日本人に寺請を課した。
こうして宗門人別改帳を作成した。
その

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