三光「寺」 保存されたわずかな石仏

 日秀上人の興した元の三光院(寺)が、明治の廃仏毀釈によって廃寺となり、日秀神社となった。
 石仏は全て廃すよう命じられたが、信仰の厚い村人はできるだけ隠しておいた。戦後またそれを並べ直した。
 が、心ないマニアに一部は持っていかれ、また減ってしまった。

 そのような由来を歴史的に記さず、ただ旧社格を「無格社」とする鹿児島県神社庁の記述は、欺瞞的であり、不誠実である。

 無格の神社だったのではなく、寺だったのだから。
 http://www.kagojinjacho.or.jp/search/airaisa/kirishima/post-740.html?fbclid=IwAR3SDqpTbdGmg1drSIa6B41NvQZWJ_b2zHw1cVUojWbNP2I46dQLYJcK9N4

 小高い山の中腹にある、日秀神社を囲む村は、みかん畑の多い、のどかな村だった。
 桃ではなく蜜柑だが、桃源郷ならぬ蜜柑源郷的な所だった。道を教えてくれたおばちゃんも親切だった。

 そこに暮らす人々の精神生活を国家の都合でぶったぎった歴史がある。  
 
 その歴史について誠実に振り返るつもりがあるなら、鹿児島県神社庁の上記のような記述はちょっとありえない。

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