生と死をこえた世界へ ~臨死体験に学んだ宇宙の仕組み~ (1)

生と死をこえた世界へ ~臨死体験に学んだ宇宙の仕組み~ (1)
                      長澤靖浩

死んだらどうなるの?

その問いかけを私は覚えているだけでも五歳ぐらいのときから意識して生きてきました。
そんな私が五三歳のとき、いわゆる「臨死体験」をしました。
コンサートで音楽を聴いて踊っている最中に、原因不明の心室細動で気を失ったのです。
私は完全に心肺停止してしまっていたそうです。
心臓も肺も止まっていたのだから、いわゆる死であると言っても言い過ぎではありません。
私は一度死んでしまったのです。
しばらくして、誰かが呼んでくれた救急車が到着しました。
救急隊員はA.E.D.(自動体外式除細動器)を私の心臓に対して用いました。
その電気ショックで私の心臓はともかく心拍を取り戻しました。
血のポンプとしての働きを取り戻し、血液を全身や、特に大事な脳に再び送りはじめたのです。
その後、入院した病院の主治医に聞いた話では、心肺停止してから、心拍が再開するまでの推定時間はおよそ一三分間だということです。
この数字は何を意味するのでしょうか。
この心肺停止時間は、普通、医者がこの人は意識を回復せずにそのまま死んでしまうだろうと予測する長さだそうです。
なぜかというと、心臓が正常な心拍を打たなくなったその瞬間から脳は酸素の欠乏状態に陥ります。
酸素が供給されなくなった脳細胞はみるみる死んでしまい、それは再生不能です。
ですから、一三分間の心肺停止は脳にとってひいては人体にとって、致命的だそうです。
一三分間の心肺停止していた人の脳は、すでに絶望的なダメージを受けていて、普通は
意識を回復しないそうです。
しかし、とにかく救急医療の原則に沿って、私は人工呼吸器を装着され、救急車で病院に運ばれました。
済生会千里病院という、大阪の大きな病院です。
幸い、循環器科が優秀な病院のひとつだったそうです。
私は心臓のみ自力で動いていたものの、呼吸は回復しませんでした。
そこで人口呼吸器で肺を動かしながら、I.C.Uで救急治療を受けることになりました。
治療の内容は、人口呼吸のほかは主に脳低温療法でした。
これは脳の損傷を最小限に食い止めるために体温(脳温)を三二度から三四度の低温に保つ療法だそうです。
その間にお医者さんはなぜ心室細動が起こったのか、カテーテルなどを血管に通し、心臓や
血管の健康状態を調べました。
しかし、私の心臓および血管はどちらかというと健康な状態であり、なぜ心室細動が起こったのか不明だったということです。
そのような場合、お医者さんはそれを特殊型心室細動と名付けるそうです。
後に主治医に説明してもらったところによると、特殊型とは、実は「原因不明の」とほぼ同等に考えてもらっていいということでした。
私の危篤は家族などに連絡されました。
後に弟や息子に聞いた話では、意識を回復せずにこのまま死ぬ確率が非常に高いと思っておいてくれと言われたそうです。
最も治療が順調に進んで一命をとりとめたとしても、植物状態が長く続き、結局は死に至るだろうと説明されたそうです。
こうして私はこちら側の世界から見ると約一〇日間、昏睡状態にありました。
しかし、実はその間に私はいわゆる「臨死体験」をしていたのです。
この本はその経験についてあるがままに語るとともに、いろいろな専門分野の見地からの考察を加えてみようという試みになります。

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