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浄土教資料集 臨死体験の考究にあたって

親鸞が「帰命尽十方無碍光如来」の言葉をその著作の中で引用しているのは次の三箇所です。 
 また大谷派の『真宗聖典』には収められていませんが親鸞の著作である『弥陀如来名号徳』には、阿弥陀仏の十二光の徳を讃えた中、無碍光の徳について最も感情移入して讃えています。

■(頁は真宗大谷派『真宗聖典』の頁です)
0168頁 | 顕浄土真実教行証文類 | 行

他の勝徳を破す。四つには、顚倒の善果よく梵行を壊す。五つには、ただこれ自力にして他力の持つなし。これ等のごときの事、目に触るるにみな是なり。たとえば、陸路の歩行はすなわち苦しきがごとし。「易行道」は、いわく、ただ信仏の因縁をもって浄土に生まれんと願ず。仏願力に乗じて、すなわちかの清浄の土に往生を得しむ。仏力住持して、すなわち大乗正定の聚に入る。正定はすなわちこれ阿毘跋致なり。たとえば、水路に船に乗じてすなわち楽しきがごとし。この『無量寿経優婆提舎』は、けだし上衍の極致、不退の風航なるものなり。「無量寿」はこれ安楽浄土の如来の別号なり。釈迦牟尼仏、王舎城および舎衛国にましまして、大衆の中にして、無量寿仏の荘厳功徳を説きたまう。すなわち、仏の名号をもって経の体とす。後の聖者・婆藪槃頭菩薩、如来大悲の教を服膺 一升の反 して、経に傍えて願生の偈を作れり、と。已上 また云わく、また所願軽からず。もし如来、威神を加せずは、まさに何をもってか達せん。神力を乞加す。このゆえに仰いで告げたまえり。「我一心」は、天親菩薩の自督の詞なり。言うこころは、無碍光如来を念じて安楽に生まれんと願ず。心心相続して他想間雑なし。乃至 「帰命尽十方無碍光如来」は、「帰命」はすなわちこれ礼拝門なり、「尽十方無碍光如来」はすなわちこれ讃嘆門なり。何をもってか知らん、帰命はこれ礼拝なりとは。龍樹菩薩、阿弥陀如来の讃を造れる中に、あるいは「稽首礼」と言い、あるいは「我帰命」と言い、あるいは「帰命礼」と言えり。この『論』の長行の中に、また「五念門を修す」と言えり。五念門の中に、礼拝はこれ一なり。天親菩薩すでに往生を願ず、あに礼せざるべけんや。かるがゆえに知りぬ、帰命すなわちこれ礼拝なりと。しかるに礼拝はただこれ恭敬にして、必ずしも帰命ならず。帰命は(必ず)これ礼拝なり。

■0323頁 | 顕浄土真実教行証文類 | 真仏土

ずべきもなしと知るを、名づけて随順とす。もし念を離るるを名づけて得入とす。」得入とは、真如三昧なり。いかにいわんや無念の位は妙覚にあり。けだしもって了心は初生の相なり。しかも初相を知ると言うは、いわゆる無念は菩薩十地の知るところにあらず。しかるに今の人、なお未だ十信に階わず、すなわち馬鳴大士に依らざらんや。説より無説に入り、念より無念に入る、とのたまえり。略抄 それ報を案ずれば、如来の願海に由って果成の土を酬報せり。かるがゆえに報と曰うなり。 しかるに願海について、真あり仮あり。ここをもってまた仏土について、真あり、仮あり。選択本願の正因に由って、真仏土を成就せり。真仏と言うは、『大経』には「無辺光仏・無碍光仏」と言えり。また「諸仏中の王なり、光明中の極尊なり」(大阿弥陀経)と言えり。已上 『論』(浄土論)には「帰命尽十方無碍光如来」と曰えるなり。真土と言うは、『大経』には「無量光明土」(平等覚経)と言えり。あるいは「諸智土」(如来会)と言えり。已上 『論』には「究竟して虚空のごとし、広大にして辺際なし」と曰うなり。往生と言うは、『大経』には「皆受自然虚無之身無極之体」と言えり。已上 『論』には「如来

■0518頁 | 尊号真像銘文 | 本

論』という。また『往生論』というなり。「世尊我一心」というは、世尊は釈迦如来なり。我ともうすは、世親菩薩のわがみとのたまえるなり。一心というは、教主世尊の御ことのりをふたごころなくうたがいなしとなり。すなわちこれまことの信心なり。「帰命尽十方無碍光如来」ともうすは、帰命は南無なり。また帰命ともうすは、如来の勅命にしたがうこころなり。尽十方無碍光如来ともうすは、すなわち阿弥陀如来なり。この如来は光明なり。尽十方というは、尽はつくすという、ことごとくという。十方世界をつくして、ことごとくみちたまえるなり。無碍というは、さわることなしとなり。さわることなしともうすは、衆生の煩悩悪業にさえられざるなり。光如来ともうすは、阿弥陀仏なり。この如来はすなわち不可思議光仏ともうす。この如来は智慧のかたちなり。十方微塵刹土にみちたまえるなりとしるべしとなり。「願生安楽国」というは、世親菩薩かの無碍光仏を称念し、信じて安楽国にうまれんとねがいたまえるなり。「我依修多羅 真実功徳相」というは、我は天親論主のわれとなのりたまえる御ことばなり。依はよるという、修多羅によるとなり。修多羅は天竺のことば、仏の経典をもうすなり。仏教に大乗あり、また小乗あり。みな修多羅ともうす。いま修多羅ともうすは大乗なり。小乗にはあらず。いまの三部の経典は大乗修多羅なり。この三部大乗によるとなり。真実功徳相というは、真実功徳は誓願の尊号なり。相はかたちということばなり。「説願偈総持」というは、本願のこころをあらわすことばを偈というなり。総持というは智慧なり。無碍光の智慧を総持ともうすなり。「与仏教相応」というは、この『浄土論』のこころは、釈尊の教勅、弥陀の誓願にあいかなえりとなり。「観彼世界相 勝過三界道」というは、かの安楽世界をみそなわすにほとりきわなきこと虚空のごとし。ひろ


「一念多念文意108」をyoutubeにアップしました。
https://youtu.be/3l7Zhwyfs2A

梯實圓和上著『一念多念文意講讃』「第二十講 『大経』発起序の文意」の第六項「十字名号と八字名号」の箇所を拝読し終わりました。

十字名号の帰命尽十方無碍光如来は無分別後得智を、南無不可思議光仏(如来)は無分別智を言葉化なさったお名乗りであることを明確に述べていませんでした。不覚でした。如来の二智がまどかに備わっている名号だから、それを信じて称えるものの煩悩を破り成仏させるわけです。梯先生は明確にご教示くださっているのに、私が下手な言葉をはさんでいるのでかえって分かりにくかったかもしれません。

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