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表現の不自由展 かんさい (3)フラッシュモブ

17時からの整理番号30番から40番の方、どうぞというアナウンスがあり、入場。
展示は学校の教室より少し大きいぐらいの会議室ふたつ分。
たぶん、普通にギャラリーや美術館の会場を借りるよりも、労働会館の会議室を借りるほうが経費は削減できたと思われるが、セキュリティに関するスタッフの労力が一番大変そうだった。

入ってすぐにフラッシュモブの映像展示。
マネキンフラッシュモブの意味と意義の説明板がある。
ドレスコードを統一した集団が街角に現われ、主張の書かれたプラカードを掲げて数分間静止する。特に「マネキン」フラッシュモブは、この「静止する」というところに特徴がある。

フラッシュモブ一般はもう少し広い概念である。
街角に突然現れて、パフォーマンスをし、解散する。
路上演劇、路上ダンスに近いものもある。

私も実はダンスバリアフリーという、障碍があってもなくても共に踊るダンスチームに所属していたことがあった。
SHINGO☆西成というラッパーや、AFRAというボイスパーカショニストが、ダンスバリアフリーに理解を示し、ともにステージを作ってくれた。
SHINGO☆西成のバックダンサー(車椅子)としてのステージ映像が、NHKのバリバラという番組で紹介されたこともある。

このダンスバリアフリーもフラッシュモブもやるチームだった。
路上で突然始めるものには私は参加したことはないが、次のようなものに参加したことはあった。
野外音楽堂・屋内コンサートホールなどで、観客席のそこかしこからいきなり現れたダンサーがその場でパフォーマンスを始め、時々ストップ(ポーズ)をとりながら、徐々にステージに集合してくる。
さっきまで観客だと思われていた(障碍のある、ない)メンバーがパフォーマーだったのかと呆気にとられているうちにステージに集まり、ダンスなどのパフォーマンスを繰り広げるのである。

いずれにしろ、突然の路上パフォーマンスは様々なアート活動に分岐したり、システム化していく以前の原点といえるのではないだろうか。
いわば音楽ライブも辻説法もダンスもお笑いもドローイングも、そして民族などの壁を越えたフリーハグもいきなり始めてしまうことができるのだ。
ひとりでも集団でも。
現代では動画配信も、何でもすることができ、編集可能なため、より多くの視聴者に届けるテクニカルな方法といえるかもしれない。
しかし、そもそも路上パフォーマンスを動画撮影し、配信する形式のものも存在する。
フラッシュモブとは、実はジャンルが異なるのだが、民族の壁をあえて超えてのフリーハグなどのパフォーマンスは動画配信で多くの人に知られることで、感動を広げていたりもする。

さて、この映像展示の「マネキンフラッシュモブ」が弾圧された件である。
モブの内容は、突然、ドレスコードを合わせた集団が海老名市駅前自由通路に現われ、選挙に行こうというプラカードを掲げて静止する。(マネキン状態)というものだ。
これが、届け出のない「集会・デモ・座り込み」であり、市の自由通路設置条例に違反するという理屈で弾圧されたようだ。
中でも女性の市議会議員が「禁止命令」の処分を受けた。
これに対してモブチーム側は、今後のフラッシュモブの正当性の確保も視野に横浜地裁に提訴。
市議の処分取り消しと、今後同じような処分の差し止めを求めた。
結果、全面勝訴。
届け出なしのフラッシュモブの正当性について、司法判断がくだされた例となった。
弾圧は藪蛇となった。

人々がこのフラッシュモブというアートパフォーマンスの可能性に目を開き、もっと多くの創造的な表現が百花繚乱となることを願ってやまない。
スマホ文化には賛否両論が私の中にもあるが、これに絡んでおもしろい点がある。
現代日本社会では殆どの人がスマホを持参して移動している。
どこかでフラッシュモブが始まれば、その動画を撮影することが、誰にでも可能である。
そしてLIVE配信することも、あとでyoutubeにあげることもできる。
その配信者がインフルエンサーであれば、その影響はさらに拡大する。

私も何かやってみようかな。
あなたもどうですか。
そして街角で出くわしたら、私は撮影の側に回るかもしれない。

ここにもまたアート表現活動の大きな扉が開け放たれているのだ。

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