魂の螺旋ダンス 改訂増補版(7) 部族シャーマニズムの到達点 民族国家宗教へ

・ イマジン

 部族社会の人々は、地球規模の愛に生きていたのではなかった。
 彼らには彼らなりに真摯に生きていたのだが、いかんせん彼らは狭い世界と視野しか有していなかった。

 現在の私たちが部族シャーマニズムを思う時、私たちの脳裏には、宇宙から見た地球が浮かび、各地の多様な部族社会が平等に見つめられている。
 私たちには、地球的視野はいわば当たり前のことになっている。
 そのため、部族シャーマニズムに、自分がわれ知らず「地球意識」を付け加えていることに気づきもしない場合もある。

 だが、部族社会の人々の脳裏には、丸い地球はなかった。
 彼らは、自分たちの行動範囲が世界のすべてだと考えていた。
 その外側は滝になって奈落の底に落ちているなどと信じていた。

 現代の私たちは、自らの頭の中における観念的な操作で、部族シャーマニズムからマイナス面を差し引き、啓蒙主義以降の人権思想、平和主義の発達や、地球規模のエコロジー思想、文化多元主義の上に接木することができる。
 部族シャーマニズムの長所だけを取り入れ、それを現代思想の世界に配置し、統合することができる。
 だが、そこに現時点での達成を加味していることを忘れるならば、過去に理想を一方的に投影することになる。
 史観としては円還思想がそこに生まれる。

 部族社会ロマンチストたちは、たとえばジョン・レノンの「イマジン」という歌に歌われたイメージと、部族社会のイメージとを混同していると言えるかもしれない。
 「イマジン」は、国境のない地球という星に平和に暮らすすべての人々を歌う。確かに部族社会の人々の視野には、国家というものはなかった。だが、そこにはまた地球という視野もなかったのだ。

 実際には、「イマジン」の世界は、部族社会からは、何度も螺旋を巡った果てにあるものだ。
 国家が生まれ部族社会を統合する。
 超越性宗教が生まれ、国家を超える視点を示す。
 だが、その超越性宗教はやがて絶対性宗教と化して地球規模の侵略を開始する・・・。

 「イマジン」は、殺戮と略奪に満ちた歴史の果てで、それらのすべてを超えていくことを希求して歌われた歌だ。
 それは、人類がはじめて地球の外から地球を見てから十年後の一九七〇年に発表された。
 その時にはすでに青く丸い地球の姿は、私たちの共有するイメージとなっていた。

 「イマジン」は、「地球ヴィジョン」がなければ誕生しえなかった歌だ。
それは、国家も超越性宗教も超えた意識の地平から「平和に共に暮らそう」と歌われる。

 ジョン・レノンは国家や超越性宗教を知らないのではない。
 その向こう側に出ることによって、今ここに、還ってきたのだ。

 そこには、自分のパートナーや隣人への素直な愛と共に、各地で暮らすすべての人々を「地球の外から」見つめるやさしいまなざしがある。
 その両者が、「地球意識」において統合されている。



第2章 民族国家宗教


・ 国家神話と祭司の登場

 元始、人類はすべての地域において部族単位の狩猟採集生活を行っていた。
 が、その後の歴史を辿っていくと、いくつかの地域で、部族単位の小集団が国家単位の大集団に統一されていったことが観察される。

 人々が早くから部族単位の狩猟採集生活を離れたのは、ある特定の条件を満たした地域に限られていた。
 すなわち、飼育栽培に適した動植物が存在するか、あるいは伝播するなどして、食糧の量産が可能となり、そのメリットが狩猟採集生活の長所を上回った地域では、人類は他の地域よりも早くに狩猟採集生活を離れた。
 具体的には西南アジアや中国、ついでインダス川流域やエジプトなどである。

 やがてこれらの地域では、植物栽培と動物飼育による余剰食糧の蓄積が貧富の差を生み出した。
 生業の分業化が促進され、「文化」が誕生した。
 灌漑などの土木事業もより巨大なものが可能となった。
 文字が発明され、あるいは伝播し、知識の蓄積と伝達が容易になった。
 こうして広範な人的文化的交流を通じて集団全体の発展が促されていった。

 社会階層の分化が特に進んだ地域では、集権的な政治権力が発生した。
鉄器が発明され、あるいは騎馬が用いられるようになり、軍事的に優位にたった集団が周囲の部族を従えていった。
 国家と王権の誕生である。
  
 国家の誕生は部族社会の持っていた限界のうちの幾つかを打ち破り、人類史上初めて「文明」と呼ばれる現象を出現させた。
 部族同士の争いは果てしない戦闘は止揚され、成員は国家意志のもとに統一されることとなった。

 人類は国家を形成することで初めて血縁関係や顔見知りといった直接的関係を離れた抽象的な大集団にアイデンティティを置いた。
 部族社会に似た群は他の動物も形成する。
 しかし、国家というような抽象的な大集団に帰属意識を持つのは人類だけである。

 だが、国家のような巨大な集団において統一を維持することは、並大抵のことではなかった。
 国家は、広大な地域を支配する王権の正統性を権威づける必要があった。
そしてそのために巨大な幻想装置としての「国家神話」を必要としたのである。

 部族社会の人々は、互いに顔の見える関係の中で、生活そのものを共にしていた。
 そういった生活の中では、シャーマンが直接的に聖なるものと交流し、その豊穣な世界を「話し言葉」で共同体に分かち合うことで成員は互いに密接なつながりを感じることができた。

 しかし、そのような「手作り」の方法では、国家のような巨大な集団を統一していくことはできない。
 話し言葉で伝承されてきた混沌とした部族神話は、特定の王権を正統化する国家神話に意図的に編集され、書かれた文字というピンで繋ぎとめられる必要があった。
 そうすることで初めて人々は、抽象度の高い巨大集団に帰属意識を持つことが可能となったのである。

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