光を見る 光になる

光を見ているときは実は光と分離して対峙している。
このときは感謝が湧く。
感謝というベクトルが生まれるには分離が前提。
これは浄土教的。

光と不二になると光は見えない。
暗黒の宇宙を進行している光は何かに反射するまで見えない。
光それ自体は光を体験していない。
これは禅的。

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