この世に投げ返されて(20) ~臨死体験と生きていることの奇跡~

(20)
 
 三日間の知能テスト、心理テストは、休憩や食事を挟んでいたため、思ったほどハードではありませんでした。
 とはいえ、退屈でバカバカしい設問が多く、気晴らしに私はわざと問いそのものを破壊するような答え方をしたり、聞かれていることから飛躍して「創造的に」遊んだりして回答を作りました。
 また臨床心理士が目の前に座って指示し、それに応答する形式のテストもたくさんありました。たとえば、目の前にたくさんの白黒写真を並べてよく見てくださいと言われます。その写真は片づけられ、次の課題を行います。私は次の課題に集中します。
 その課題が終わったあと、先ほどとかなり重なっている写真が再び並べられ、「先ほどいなかったのは、どの人ですか?」と聞かれます。私はまるで関心がなかったため、殆どわかりませんでした。このようなテストの結果は「短期記憶の欠落がある」という評価に繋がっていたように思います。
 しかし、もしもその写真がカラーで、特別な美人だったり、好みから大きく外れている人が混じっていたら評価は違っていたかもしれません。
 事実、私は最近、初めて見る、長い電話番号を一目見て、番号をクリックしきるまで保持する能力が以前より向上しているのに気付いたことがあります。以前はしばしば途中で続きの数字を確認したのです。私の実感では、必要性や興味に関連しているとき、倒れる前よりも短期記憶は向上しています。
 このテストの評価はむしろ、「必要や興味がある無しによって、脳を使おうとするかどうかの姿勢が極端に変わる」ではないのか?と思いました。
 また、臨床心理士が目の前でする動作、たとえば「ボールを持って、戸棚に歩いていき、そこでボールを直して別の物をとって、戸棚を閉め、新しい物を手にして、テーブルのどちら側からどう回って、元の椅子に着席する」などをよく見ているように言われ、そのあとで同じことをしてくださいというようなテストがありました。
 このテストは動作の模倣の正確さとかかった時間の両方を測っているようでした。が、歩行が困難なので、どこを手すりの代わりに支えにしてそこまで行くかなど、安全性への配慮に気をとられ、動作も素早くないため、当然時間がかかりました。模倣したくても、安全性の問題があり、その通りにできない部分もあります。
 後に開示されたテストの評価では、私の動作性IQは80でした。年齢平均を100とする偏差値ですから、それほど低いとは言えません。私は支援教育の分野でも仕事していましたから、80という数字が持つ意味はだいたいわかります。
 それは殆どのテストにおいて、障碍とのボーダーに当たる数値です。
 しかし、私の運動能力に関する問題は、そのような課題がどれくらいできるかが主ではないでしょう。どんな場所で、どんなストレスがかかると、あるいは予期しなかったどんな事態があると、痙攣を起こして転倒に到るかでしょう。
 そのようなことを測るテストはひとつも含まれていないように感じました。
 
 臨床心理士が採点したすべての評価をもとにW医師が、私にその結果についてついて説明したのは、一ヵ月後の次の診察時でした。
 動作性IQ、短期記憶にやや問題があるというのは、テストのときの自分の様子を覚えていた私にとってもちろん予想どおりでした。
 しかし、苦笑してしまったのは、最大の問題は「人とのコミュニケーションが不可能である」という評価です。人と相互理解を保ってコミュニケーションすることについての点数があまりにも低いというのです。
 「テストの結果では、それは運動能力より深刻な問題だ。そのまま診断書を書くなら、人とのコミュニケーションが不可能なので、職場への復帰は不可能だということになる」というのです。
 「そもそもひとつひとつの問いの意味を理解していない。まるで違う話を始めてしまっていて、しかもそれが緻密で長い。ちなみに言語性IQは130ある。これは異様に高い。数学的能力はちょうど100で年齢平均。これは高度な問題を解く能力ではなくて、単純な計算を連続して行ってもミスしない確率のことだが・・・」
 自分は数字は苦手で嫌いだと思っていたので、それが年齢平均と聞いたのは、少し安心しました。
 私は「テストの結果はすべて、初めからわかっていたことばかりですね」と言って笑うしかありません。
 「私の観察では・・・」と言って、医師は私の目を覗き込みました。
 「主治医を見ていると私は・・・・」という文を完成させるテストに私は「ゲイかもしれない、そうだろうか、いや違うのだろうかと、そればかり考えてしまう。」と回答していたのを思い出しました。
 「あなたの性格では、テストの問いがあまりにもバカバカしいと感じて、おちょくったり、問いの有り方自体を論評したのでしょう」
 「ふっ」
私は拳を口に当てて下を向きました。
 「しかし、臨床心理士はテストの結果をルールに沿って査定しているから、点数は異常に低くなる」
 間を置いて、医師はもう一度繰り返しました。
 「とにかく・・・テストの結果では、あなたは高次脳機能障碍のために職場復帰は不可能です」
 
 ひとりになってから、言い渡されたテスト結果について考えたのは、次のようなことです。
 
 私は、原因になるような疾患が見つからない身体で突然の心室細動を起こして、臨死体験をした。このまま意識を回復せずに必ず死ぬと言われていたところ、奇跡的に蘇生した。
 高次脳機能障碍という後遺症が残り、転倒しやすい身体(身体障碍)になり、人とのコミュニケーションは不可能(精神障碍)という診断を受けた。
 ところが宇宙は私の言語能力については一切破壊せずにそのまま残した。つまり、教育の仕事は不可能になった上で、言語能力はそのまま保持された。
 以上の経過から、私が何かのメッセージを受け取るとするなら、それはどうしても次のようになる。
 
 残りの人生を表現活動中心に、本当にやりたいことだけをして生きなさい!
 再び、今度は本当の死が訪れて、あのやすらぎだけが満ちた世界に還るその日まで。

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