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LINE ブログ「よんじゅごー」の一節に関する戯言

私の中でどうしても書き留めておきたい気持ちがあったため、
この記事に声優汐入あすかが更新したLINEブログ「よんじゅごー(=^x^=)」
の一節について自分なりの見解と決意について触れたいと思う。

お詫び

本記事については私の個人的な見解が含まれており、
ふと目に触れ気分を害してしまった方がいたら大変申し訳ない。
自分の定規でしか人を評価できない馬鹿と扱ってください。

一節について

私が今回述べたい一節については本文の一部を抜粋し省略してここに引用する、詳しくは本人のブログを読んでいただきたい。

さてさて…
怒涛のイベント舞台ウィーク、
お付き合いいただいた みなさま、
ありがとうございました💕
・・・・・・・・・・・・
みんなに楽しいものをお届けできることなので、
自分の楽しいを優先してくださるのがいちばんなのですよ🥰

LINE BLOG「よんじゅごー(=^x^=)」より

全文には彼女もよく語っている、
日々糧になるような応援を届けたい、といった活動指針も相まって、
一層優しさや気遣いが感じられる言葉であった。

と同時に、利己的な私には重くのしかかる言葉でもあった。

人の幸せを祈ることは自己保身

ここからは汐入さんの心を慮った言葉ではなく、
汐入さんとは違う人生を歩んだ私自身の経験も含めた見解であることを再度述べたい。

私もこれまでの25年の中で、
「人の幸せが一番、人の幸せの上に自分の幸せが成り立つ」
といった言葉を多用してきた経緯がある。

そしてその言葉を使うときはいつも予防線を張る時であった。
誰かのために何かをするときや、こうしたら喜んでくれるかな?
と自分らしくない行動をしてみたとき、
決まって上記の”人の幸せ”という言葉と、併せて”自己満足”という言葉を使う。

誰かのために行ったことでどうしても生じてしまう、
持ちたくない期待や、嫌でも期待してしまう自分への自己嫌悪をまとめて、
やりたくてやっているというレッテルを上から貼り付けることで保身に走るのである。

また、”人の幸せを祈る”という行為は述べている本人も本心から思っている。
誰かが幸せならそれが一番、しかし期待する自身も存在する。
矛盾する自身を感じてさらに自己嫌悪、という悪循環に陥るのである。

もちろん彼女の活動が、自分らしくない活動ではないと思うし、
私のような矮小な人間と同じではないというのは重々承知しているのだが、
自身が保身として使っていた言葉を使われると嫌でも想像してしまう。

彼女も自身と同じように保身のための言葉であったり、
自己嫌悪を感じてしまっているのではないか
、と。

最後に

実際9月から応援し始めた私は、
首都圏外のイベントに参加することはできず、
今回のブログの言葉は特に響いたわけだが、
短い期間だけ死に物狂いで応援してガス欠になることの方が、
個人的には申し訳ない上、
私生活を充実させてから応援活動も充実させる(≒立派な人を応援するには自分もそれくらい立派でありたい)というモットーも果たせない。

そもそも応援している彼女本人も、
ファンが大事にしている、ほかの幸せを捨てることは望んでいないのも事実ではあるのも間違いないだろう。

結局アブラムシとしてできることは変わらず、ひたすらに応援は続けていくことにはなる(まぁイベントの行動範囲は広がるだろうが)。


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