見出し画像

稀人ハンタースクール、2年生に進学します。

稀人ハンター・川内イオという人

私がイオさんの記事に初めて触れたのは、東洋経済オンラインに掲載された、男性公務員から女性釣り師に転身した田中さんの記事だった。
記事は、田中さんが初めて職場でカミングアウトするシーンから始まる。
いままで男性として出勤していた田中さんが、メイクをして、ハイヒールで職場に向かう。田中さんの心臓の音や、ごくりと唾をのむ音まで聞こえてくるほどの緊迫。

こんな文章を書ける人がいるのか。そして、大手メディアでこんな方を取り上げてくれる人がいるのかと。

「川内イオ」を検索し、次々と記事を読んだ。

日本でたった一人の「チベット医」
1日30万円稼ぐリンゴの行商
喫茶ランドリーを開いた女性
カンボジアから世界一の胡椒を作る男性
オリコン1位を100回以上叩き出した音楽プロデューサー

記事のターゲットが目を惹くだけではない。取材対象者が、柔らかくて繊細な、誰にも触れられたくない部分まで、このライターにさらけ出していることに驚いた。

ネットはノウハウ記事や広告記事、人々の間に分断を生むような記事ばかり。法律事務所に長く勤めていた私は、ネットの記事を読んで思わず高額商品や詐欺まがいの商材をポチってしまった方を多くみてきただけに、感情を誘導する心理テクニックを使った記事に生理的な嫌悪感があった。

しかし、フリーライターになって、そのような記事にどれほど需要があるかがわかった。「誰かに何かをさせる」記事は、記事単価も高い。そして3,4年経験を積んだライターが、ライタースクールを開催してそのノウハウを伝授する。そして感情誘導記事を書くライターが量産される…。

記事に「心を動かされて」ぽちっとした人々の末路を知っているだけに、それが社会的に正しいエコシステムなのか、私には疑問だった。

そういうライターは、確かに儲かる。でも、そういうライターにはなりたくない。

稀人ハンタースクール開催

Xでフォローし、記事が出れば必ず目を通していたイオさんが、ライタースクールを開催するらしい。当時の私はようやくSEO記事から半身だけ抜け出し、取材記事を書くようになっていた。
イオさんのスクール開設に関するツイートは匂わせから始まり、日に日に現実味を帯びてくる。すでにスクールに参加することを心に決めていた私は、早く、早くと貧乏ゆすりしながら情報解禁を待っていた。

そしてスクール説明会当日。初めて動くイオさんを見た。どこかのスクール講師のように、「ゴール設定から逆算し、高速でPDCAを回せ!」というタイプだったら、静かにフェードアウトしよう。前職で何百人という人と面談してきた経験から、人柄の見極めにはある程度自信があった。果たして、稀人ハンター・川内イオとは、どんな人間か。

「あれ?…これ、共有ってどうやるの?」

そこには、あらかじめ作っておいたPDFの画面共有方法がわからず、慌てる「凄腕ライター」の姿があった。優秀な弟子のウィルソン麻菜さんが、説明会の間ずっと遠隔で「ポンコツ師匠」をサポート。

あ、ここ入ろ。

この時点で気持ちは固まった。

イオさんだけではない、ユニークで深い仲間たち

3月末から授業は始まった。最初はライターとしてのお金の稼ぎ方、原稿料のお話。多くのライターが苦しんでいる重要なポイントだ。

授業は毎回テーマに沿って2時間だが、時間通りに終わった試しはない。とにかくこのクラスは質問が多い。そのうえ次々と繰り出される質問は、自分にも有益な内容ばかりだった。

そして授業の後の雑談タイム。水曜夜9時スタートのクラスでは、授業時間+雑談で最長午前3時まで、計6時間続くこともあった。ちなみに月曜朝9時半スタートのクラスでも同じ現象が起こり、気づけば午後3時、という日も多かったらしい。

イオさんはどんなに次の日の予定が早くても、強引に雑談時間を切り上げることはしなかった。午前2時に終わり、3時間睡眠で朝5時には自宅を出る、という強引なスケジュールだったこともある。

なによりも嬉しかったのは、イオさん自身が「先生」ではなく「仲間」として前のめりに私たちに関わってくれたことだ。

そして同期のスクール生。20年以上のライター経験者から、記名記事未経験者まで、年齢も経歴も住む国さえバラバラなメンバーが集まった。

本来のスクールから派生して、スクール生同士のインタビュー企画、文学フリマ出店、関東・関西オフ会、福岡での執筆合宿など、むしろスクール終了後の方が、メンバーとの絆が深まった。

因みに全体合宿では、当初全員が集まりやすい東京が候補地として有力視されていたが、「九州組の中には本土に集まりにくい人もいる」という意見がきっかけで、全員が博多に集まることとなった。東北・福島から、イタリアやスペインから、東京ではなく福岡に。

受講後、1期生はどうなった?

スクールで大事なのは、その後生徒がどうなったかということだ。本当にライターとして成長したかどうか。私たちは現在でもかなり密に関わっているため、誰がどんなことに挑戦しているのかはお互いによく知っている。

・プレジデントオンライン企画通過者(突撃隊):現在7名 
 (うち3本の記事が掲載済み)
・ロコラバ・ビヨンドマガジン(イオさん編集)掲載者:計15本
・100万PV以上を獲得した記事:2本

私自身、企画書をもってプレジデントオンラインに飛び込み営業をして門戸を開き、2本の記事を書いている。うち1本、北九州市のド派手成人式の生みの親である池田雅さんの人生を描いた記事は、数日間サイト内ランキング1位を更新し続けた。その後にイオさんが放った1棟1万円の簡易住宅の記事が公開され、一時はプレジデントオンライン「いいね」ランキング1位と3位を飾った。

その他にも、ライターで学んだことを事業に活かして大きく羽ばたく者、一人編プロ社長のように複数の受注を受け、信頼できる仲間たちと組んで記事を書く者、記名記事デビューした者など、ほとんどが1年前にいた場所から大きく踏み出して(はみ出て)いる。

能力のベクトルもバラバラなので、お互いに自分にないものを持つ相手をたたえ、凸と凹を補い合える。誰かが「つらい」と一言漏らせば全力で支え合い、ときには現地に駆け付ける。

こんな仲間たちを、私は他で見たことがない。

そしてちっとも偉ぶらないイオさんは、生徒たちの企画する面白そうな試みに、「俺もまぜて!」と積極的に関わり、全力で楽しんでいる。私がこのnoteを書いている現在も、3人のスクール生を引き連れて、北海道・網走で極寒の中ワカサギを釣っているのだ。

ハンタースクールは、楽しいことばかりじゃない。優秀で個性的な仲間だからこそ、「自分でない誰か」が次々と変わっていく場面を見ることになる。誰かの成長を、地べたに這いつくばって見上げることもある。仲間に光が当たり、自分に深い影が落ちることもある。

しかし、だからこそ私は彼らのそばにまだいたいと思う。自分に深い影が落ちた時、一緒に影の中に入ってくれる仲間より、光の中から手を差し伸べてくれる仲間のそばに。

2期生のみなさん、ようこそ、稀人ハンタースクールへ!私たち1期生は、誰一人卒業することなく、2期生の方と交流できる日を楽しみにしています。


この記事が参加している募集

ライターの仕事

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?