感謝

私はほとんど死んで生まれたらしい。母体も危なかった事から帝王切開でとりあげられた。赤ちゃんにとっての呼吸を意味する産声はなく、紫色だったそう。
無事に育つも小児喘息を患い、母親は幼い私を連れながら、保険会社で働く。
このあたりから思い出せる事が増えてくる。母が社用車で営業する中、一緒にいた私は腹痛で漏らしててんやわんや。喘息の発作を起こして、仕事を切り上げ病院へ連れて行ってもらったり、、、。夏のキャンプでツツガムシに刺されて母が入院した時の、やや不安そうな父親の顔ほ今でもなんとなく覚えている(笑)
社会人になり、三十路を目前にした今だからこそ、同じくらいの時に母親がやってきたことの大変さが理解できる。
この機会を与えてくれた米光さんにも感謝致します。