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56回目の国花に思うこと

2020年3月30日に56回目のサクラを体験したことになります。もっとも0歳の時から物心つくまで、サクラの記憶は親族が集まったりしていたというおぼろげなものしかありません。また住んでいた周辺には、たくさんのサクラが在ったので、わざわざ観に行くという特別なものでもありませんでした。

ただ2020年のサクラは少し違います。春の訪れを告げたのはサクラではなく、ウィルスでした。こんな事態にまでなると想定していなかったのは僕だけではないと思います。大変だとは感じていても対岸の火、こちらに影響する度合いを現実的には想像できませんでした。日本は医療体制も整っているし、清潔だし、同じようにはならない、と考えていました。

果たして、それは豪火です。いまなお燃え盛ろうとメラメラとし続けています。しかも海を越えて、地球全体の広大な範囲で燃え盛り始めています、残念なことに鎮火の兆しはいまはどこにも見えてはいません。

終戦からたった19年でオリンピック

僕が生まれたのは東京オリンピックが開催された1964年。終戦からたった19年でオリンピックを開催するまでに復興したのが日本でした。とにかく働きに働いた。先人たちは、休日もなく、団結して働いたのだと思います、復興を目指して。

そして今年2020年に56年ぶりに東京オリンピックが再び日本で開催されようと準備されていました。ただ、豪火を前にしては延期せざるを得ません。
この判断までの時間にも、この火は、少しづつ燃え拡がっていました。

56年も生きたのに、こうした事態に後進たちに具体的な道を指し示すこともできないこと情けなく感じています。内省し、不安の根源を探ろうとしてもとても複雑で彷徨っていましたが、誕生日から1週間経ったいま、感じていることを率直に記しておきたいと思います。

生活実感が社会を救う

感(勘)じること、それは ”運” とも言い換えれるかもしれません。
危機的状況であればあるほど、感じることが大切になってくるのだと思うのです。僕がマーケティングコンサルタントとして一貫して言い続けている ”生活実感” 。一般論や風潮に流されることなく、自身が生きていて感じることが正しいということ。

先日のこと、都内でのミーティングのため通勤時間帯の地下鉄に乗りました。休日の外出自粛が要請されているのに、地下鉄は社会的距離など守れるはずもないほどの混雑ぶり。そして、その車内では生気の薄い多くの人が諦めたように揺られ、まるで生贄のようにも感じました、外出は自粛して欲しいと叫びながら、翌日にはこの状態を甘んじて観ている。僕は、この光景を、この空気感を一生忘れることはないと思います。

閣僚はこの電車に乗ってみればいい。彼らは明らかに ”生活実感” が希薄です、守られた籠の中から社会を覗いている、そこからは一般生活の真は観えません。だから数値をあてにしている、百人を超えれば、百人単位が続けば、というよう議論がなされるわけです。感じれない人ほど、可視化を求めるのです。

可視化できないウィルスの感染を、可視化できるものしか信じれない閣僚。
これでは防げるわけがありません、創造性が欠如しています。起こってから手を施しても遅いのです、死んでから残念だと言っても遅いのです。

平日の満員電車に乗っているおそらく会社員の方々にも、家に帰れば家族がいるのでしょう。その家族は(小さな子供や年老いた親も)平日の満員電車に揺られていることと同じ状態にいるのです。こうした雇用されている会社員は、自ら休暇を申し出ることは失職(収入源を失う)に繋がります、だから怖くても通勤するしか選択肢はないのです。

そして雇用している経営者も苦渋です、危ないことは解っている、けれども事業を停止するということは、解雇にも繋がってしまう。このような状態の社会に、いま国家がすべきことはなになのでしょうか。このままでは、明日もあの満員電車に揺られなければならない人たちがいます。

僕たちは未知のものに試されている

昨年から活動を始めた 誰もが誰かのライフセーバーに という社会活動では、自死を抑制するための社会風潮づくりを提言しています。具体的な行動指針として下記を掲げています。
1・挨拶 2・握手 3・深呼吸 4・笑顔
これらの行動で、脳内からセロトニン ”幸せホルモン” が分泌され、気持ちが前向きになります。しかし、現状では、挨拶も握手も深呼吸も憚れます。
だからこそ、不安で押しつぶされそうになっても "笑顔”でいることを忘れないように努めたいと考えています。眉間の皺は、解決には導いてくれることはありません、笑顔こそが不安を拭ってくれるのだと思います。

社会的弱者がさらに追い詰められる構図。”お前たちの作ってきた社会とはそんなものか” と未知の火事に挑まれているようにも感じます。火の手を遮りたいと思います、そのためには、まず "自己緊急事態宣言" を発動してください。国がとか、自治体がとかではなく、自分自身の生活実感で判断してください、そしてその判断は間違いなく正しいです。

もし失職しても、そこに健やかな命さえあれば選択肢は無限に拡がります。
本当に自身の "勘” で危ないと感じたならば休んでください、そして子供たちにとっても危ないと感じたならば休ませてください。
いまは籠城するしかないのです、けれども時間が経てば状況は変わります。

常に動き続けている

東京都医師会の 尾崎治夫 会長からは、何度も勇気を持った提言がなされています。立場のある方が批判も恐れずに勧告してくれています ”6週間で変われる” と。

明日、東京都医師会は独自に "緊急事態宣言" を発動されるそうです。僕たちも "自己緊急事態宣言" を恐れることなく発動しましょう。不安な気持ちで都心の地下鉄に乗ることはありません。

いまから6週間我慢してみませんか、6週間、42日、1008時間、時間が経てば状況は変わります。ウィルスは自生できないのです、寄生することしかできないものには寄生させなければいいだけです。この1008時間で僕たちの命が、僕たちが大切に思っている人たちの命が、そして未来が護れるのです。

僕たちなら新しい社会を創造できる
たった19年でオリンピックが開催されるまでに復興した日本。たとえ経済的な損失が莫大であったとしても、命があればまた甦ることはできるでしょう。

けれども、命がなければ復興しようもありません。命を守るためには、本来は国がはっきりとこう伝えればいいのです。
”命は守る、だからみんなでいまを乗り越えよう、外出は禁止だ、生活は保障する” と。

それを躊躇している政府には、期待せずに自分たちの生活実感で行動しましょう。手遅れになる前に、自分たちで緊急事態に立ち向かいましょう。もちろん、さまざまな問題は起こるでしょう。けれども、いまのように ”命が懸かった” 問題ではないはずです。感染すれば自らが死ぬこともある、感染させれば他人を死なせてしまうこともある、こういう病をいま目の前にして、なにがこれ以上の問題だというのでしょうか。

子供たちを護りたい、これはなにものにも代えられない多くの方の切実な願いです。子供たちを護るためには、まず自身が感染しないことです。自身が健やかであり続けるためには、いまは感染起源となる他者との接触を断つしかないのです、けれどもそれも1008時間です。睡眠時間を引くと672時間、amazon prime に登録されている映画の1/5ほどしか観れない時間。

多くを手放す勇気が必要です、けれども、その勇気こそが日本を、世界を復興させるエネルギーへと繋がるはずです。
なにが大切なのか。硬貨や紙幣よりも、まずは命。僕たちなら、今を乗り越えて、素晴らしい社会をまた創造できるはずです。
僕は、あたりまえに挨拶ができる、握手ができる、深呼吸ができる、そしていつでも笑顔でいられる社会を取り戻したいと考えています。 

無事に57回目の国花を仲間たちと笑って観賞できることを希望して。
2020年4月5日 56回目の誕生日から1週間後に記す

誰もが誰かのライフセーバーに
代表理事 西村公志

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