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山里亮太版『人間失格』

「恥の多い生涯を送って来ました。」
「気がつくと身に覚えのないピザを食べた跡が目の前にあった。」

前者は太宰治の『人間失格』、
後者は山里亮太氏の著書『天才はあきらめた』
の書き出しだ。

今日は後者の山里亮太氏の『天才はあきらめた』を紹介したい。


本書は山里亮太版『人間失格』だと感じた。
冒頭に本家の『人間失格』の書き出しと並べたのはそのためだ。


類稀なツッコミのワードセンスだけでなく、
女優の蒼井優さんとの結婚で世間を驚かせた(希望を与えた)山里氏。
本書は山里氏の”クズ”な部分(本人の表現まま)、屈辱や怒りを努力のエネルギーに変えて来た様が告白体で綴られている。

”クズ”な自分。

本人が”悪行”と書いているとおり山里氏がしてきた歴代の相方への仕打ちは読んでいて「酷いなぁ…」と思えるものだった。
そう感情移入するほどにリアルに描写されていた。
ただ、そのリアルさは彼が嘘なく正直に書いている証拠。

本当は立ち往生しているのに、後ろをついてきてくれている仲間を下にどんどん落としていくことでできた距離を、自分が昇っていると勘違いしているだけなんだ!……と。

と振り返っている。そしてそんな自分を”クズ”と評す。

屈辱や怒りを燃料へ。

彼は受けた屈辱や怒りをノートにそのまま書くそうだ。
当時のノートの内容を引用する。

夜中に「〜Pに会わせてやるからコンビでこい」(おそらくプロデューサーのこと)と言われて行ったらそいつの女だった。
第一声が「な?来たやろ?」だった。さらにその女に向けてネタやらされた。
売れる。売れたら本気でつぶす。絶対に一生許さない!

そしてこう続けている。

眠くなったらあのスタジャンの顔を思い出せ!起きろ!
ネタを書け!あいつら全て後悔させてやる

流行の本やSNSと違うこと。

「充実した自分」を見てもらうSNSや
「スマートに仕事しようぜ」的なビジネス本に位置するようなカリスマ経営者の自書伝とは違い、
”クズな自分”を徹底的に自ら描き切った部分に本家『人間失格』に近いものを感じた。
当時の山里氏のズルい感情も描かれている。綺麗事は一切書いていない。

山ちゃんは、僕だ。

読後に思ったのは山ちゃん(もう愛称で呼びます)のいう”クズな自分”は私自身にもいるということ。
同級生や後輩の活躍を喜べない時は私にもあった。

大学野球部時代には活躍できない自分と逆で
神宮でチアの応援を一身に受ける同期が羨ましく
「負けちまえ!」
と嫉妬する時期も長かった。

だけどそんなもう1人の自分の存在を認めず、
エネルギーに変えてこなかったのが私だ。
「試合に出れるほどの才能がない」と努力自体を諦めていた部分があった。

山里氏が自身を「天才でない」と認めている通り
世の中の99.9%が凡人だ。

ラストの一部、こう締めくくっている。

やっぱり僕は天才にはなれない。
でもこの事実を諦める材料にするのではなく、目的のために受け入れ、
他人の思いを感じて正しい努力ができたとき、
憧れの天才になれるチャンスがもらえる。
(中略)
もし力が出なくなったときには、こんなふうに偉そうに書いた本を退路に突き立ててもう一度頑張ります。

本書は我々と同じ凡人である山里氏が
悩み、人を傷つけ、傷つけられ、人に助けられ
歯を食いしばった記録。

そう、これは私たち凡人の話でもあるのだ。

そして僕自身の話でもあるのだ。

”ダメな自分”が嫌いな人。
「背伸びしているな…」と思う人。
単純に山里亮太という人間に興味を持った人。


一度、彼の魂の記録に触れてみてはどうか。


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