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そっとレモンをおいてくる

 高校生の頃、現国の時間に梶井基次郎という小説家が書いた『檸檬』という作品を習った。この作品を初めて読んだ時、こんなに面白い物語を書ける人がいるのかと感動したものである。主人公である「私」は、「得体の知れない不安」に終始押さえつけられていた。元気だった頃の「私」は、丸善で色々な商品をみることが好きだったのだが、この頃はどうにも足が遠のいている。好きなことといえば、みすぼらしい裏通りを眺めたり、おはじきをなめることぐらいであった。そのように鬱くつとしている「私」は、偶然通りかかった果物屋で色鮮やかなレモンを買い、それを懐に忍ばせる。すると何だか心が晴れ、いつもは金がなく避けていた丸善に入り、画集などを手にとってみるがどうにもつまらない。そこでこの主人公は奇妙な行動をとるのである。画集を積み上げ城を作ると、その頂にレモンをのせて店を後にするのである。あのレモンが実は爆弾で、10分後には爆発すれば面白いのにと考えながら。

 すべては「私」の妄想のような話ではあるが、本の上に置かれたレモンを発見した人間の心情を思うと私は楽しくて仕方がない。まずは驚くだろう。この驚きという感情こそが、人の心に波風を立てたという事実こそが、爆弾の役割を果たしているといえるのではないだろうか。そしてこの短編小説を一読した時に感じた、不思議な爽やかさについて思う。始まりは確かに影を背負った「私」が登場するのだが、想像力の勝利といえば良いのだろうか。鮮やかな逆転劇によって物語はその幕を閉じるのである。私にとっては最高にクールな小説である。

 高校生の頃私は苦しかった。家の中の空気が本当に暗く、私は窒息しそうな日々を送りながら受験勉強に励んでいたのである。最初に神経がまいっていったのは、今にして思えば父だった。父はその頃単身赴任の職種に就いていていて、家に帰ってくるのは1ヶ月に1、2回あればいいところという生活を送っていた。そんな人間が庭先に「離れ」と称した小屋を建てて、その中で生活を始めたのである。たった1、2回のために。当時はその状況を受け入れていた私であったが、今考えてみるととてもまともな家であるとは言い切れなかったように思う。夫婦関係はとっくに冷めきっていて、父は私のことを母から守るという気概さえもみせてくれなかった。当時のあの家での生活を思い出すと、私の心にはいつも寒い風が吹く。そんな私に『檸檬』は人間の想像力のたくましさをみせてくれる作品だった。私は空想の中であの家に特大のレモンを置いてくる。もちろん「離れ」にも。良い思い出が全くないあの家を、空想の中で木っ端微塵に破壊するためである。それほどまでに嫌な思い出しかない家庭であった。

 宮崎県に来てから、私は人様の家に2ヶ月間ほどお世話になったことがあった。そこの家の奥様が私は少し苦手だった。ボロボロの私をみてはっきりと拒絶の態度をとられてしまったからである。気持ちは分かるが、もう少しオブラートに包んで表現して欲しいと私は思った。それほどまでに私はひどい状態だったのである。そんな中で私は以前本でみた、きのことレモンのパスタが食べたいと思い立ち、スーパーに行って材料を買ってきた。結局作る前にその家から別の場所に移ってしまったので、その家の冷蔵庫にはきのことレモンが置き去りにされることになったのだが。私は思った。初めて実際にレモン爆弾を仕掛けてしまったな、と。私は何だか楽しい気持ちになって、今頃あの奥様がぽってりとしたレモンを前に途方にくれているといいなと思った。

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