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会津の魂

 最近お友達になった女性は、好きなものがオペラだという。彼女は歴史に造詣が深く、好きな歴史上の人物に大久保利通をあげた。歴史が全く分からない私からしたら、うら若い女性の口から大久保利通という単語がでてくるだけで何だか素晴らしく思えて感動してしまった。そして彼女は以前に読んだ本として保科正之という人の伝記をあげた。保科正之。私はこの名前をどこかできいたことがある。いや待て。歴史に疎い私がどうして名前を知っているのだろう。(しかも私は世界史選択だった)自身の限りなく無に等しい歴史の知識を総動員してうんうん唸っていたら、突然ひらめいた。そうだ。『3月のライオン』だ。『3月のライオン』という将棋漫画のなかで福島県会津出身の棋士がでてきて、主人公の桐山零くんに保科正之の素晴らしさを語る場面が登場するのだ。よくそんな細かい場面(あまり本筋に関係ない)を覚えていたなと自分でも感心するが、それだけ妙に印象的な場面だった。(『3月のライオン』が好きすぎてかなり読み込んでいるというわけでもあるが)

 保科正之という人は何をされた人であったか。調べてみたらその名君ぶりに驚かされた。二代将軍秀忠の側室の子であった正之は、数奇な運命をたどりながらも異母兄の間柄であった家光の気に入るところとなり会津初代の当主となる。そして家光の死後は、幼将軍家綱の補佐役として幕政を主導していく立場にのぼりつめていくのである。正之という人は領民のことを第一に考えていたらしい。大胆な経済政策を打ち出し藩の財政の再建に成功。医療費免除制度をとり入れ福祉の充実に尽力。その政治的手腕は江戸の3分の2を焼き尽くし、10万人もの犠牲者をだしたといわれる明暦の大火で大いに発揮されることとなる。災害復興に際しても正之は周囲が驚くような政策を打ち出していくのである。江戸幕府ひいては今日の東京の礎を築いた人物といっても過言ではないだろう。

 私は福島県に行ったことがある。高校の修学旅行で。毎年自動的に広島行きが決定する我が校は何を思ったのか、その年だけ突然福島行きを決めた。当然非難ごうごうで、私たちはその渋すぎる選択にたじろいだのだった。福島で私たちがみたものは山、山、湖、山、白虎隊、山、湖、山、山、湖、白虎隊という具合だった。よほど戊辰戦争ひいては幕末に関心がある人でなければ、三泊四日の福島旅行は厳しいだろうと私たちは結論付けた。実のところ、「修学旅行で福島県にいってきた」というと、多くの人は「何があるの」と私にきいた。説明にとまどう私。しかし今回保科正之に関して調べてみて私は考えを改めることにした。何も幕末の悲劇ばかりが会津の歴史ではない。会津にはどうしても「負け」のイメージがついてまわるが、それだけではないのだ。江戸幕府に忠誠をつくしてきた会津藩には、今日の私たちが見習うべき良政がしかれていたのである。事実江戸時代において一番安全な国は会津だったらしい。名君保科正之の力によるところが大きいだろう。

 自戒を込めていうが、私たちは歴史を知らなさすぎる。私は自分が恥ずかしい。どうしてもっと歴史に関心をもたなかったのかと。(一つだけ言い訳をすれば、自分の悩みで手一杯であまり大きな視点をもてずに成長してしまったというのもあるが)今日こうして安寧に暮らしていられるのも、積み上げられたものあってのことなのに。自分の生きている意味を考える上でも、歴史に学ぶ意義は大きいように感じられる。未来ある子どもたちには私のような轍を踏まずに、大いに歴史に関心をもってもらいたいと願う。

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