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羨ましい人。

「忘れられない一言」というものが、
人生の中でいくつかあるように思う。

ときどき思い出して、あれこれ思いを巡らせてしまうような一言が。

最近、22年前の友人の一言がどうにも頭から離れない。

「みんな、私に何歌って欲しい?」

カラオケにて。

高校時代、私は美術部の幽霊部員だった。
卒業時、美術部の在校生が開催してくれる「卒業生を見送る会」があり、幽霊部員ゆえ、そこまでそのコミュニティになじんでいなかった私も図々しく参加した。

焼肉屋のあと、カラオケに行き、入室早々、美術部の部長だった友人が放ったのが、上述の一言。

最近ほとんど見なくなった、あの分厚い目次本を繰りながら、本に目を落としたまま、そう言ったのだった。

その後の詳細は記憶にないが、確か彼女はトップバッターで歌った。

私には衝撃だった。

「…カラオケって、自分が歌いたくて来てる人が多いんじゃないの?
歌手でもないのに、何を歌ってほしい?って、めっちゃ恥ずかしいわ~」

というのが、当時の感想で、今も思い出すとそのときの感情がよみがえる。

もしかしたら私が知らないだけで、在校中に、仲良しメンバーでカラオケに行ったことがあって、部長、歌うまい!あれ歌って~!みたいな出来事があっての発言だったのかもしれないが。

20年以上経った今も、どうしてこんなちょっとした出来事が忘れられないんだろう。

8月に久々に帰省した際、兄とゆっくり喋る機会があり、そのことを話してみた。
そして、

「今、noteっていうSNSで毎日書いてるんだけどさ、たとえばそこで
『みんな、私にどんなこと書いてほしい?』
とか
『しばらく書けてなくて、ごめんね~みんなお待たせ!』
みたいなこと言うのと一緒でしょ、そういうこと言える人ってどういう心境なんだろう」

注)ギャグで書いてる人にはめっちゃ惹かれます

と話したら、兄が

「俺は結構、発信側と受け手側みたいな二極化はあるような気がするけどな」と言った。

兄は同窓会や飲み会を嬉々として企画するようなタイプなのだが、こんなエピソードを語り出した。

中学時代の同窓会開いて、来てくれた男がいたんだけど、誰とも喋らないし、どう見ても楽しくなさそうに1人で飲んでて、来るんじゃなかったと思ってそうな子がいたんだよね。
だけど、帰り際に「誘ってくれてありがとう、超楽しかった」
って言ってくれてさ。うそぉっ?って感じでしょ?
それから俺のツイッターにもいっつもイイネしてくれるんだよね。

兄の話。

なので、発信側の行動を喜んでくれる受け手側が一定数いるんじゃないか、というのが、兄の持論のようであった。なるほど…

それからまた、

「みんな、私に何歌って欲しい?」

について、思いを巡らせているうちに、だんだんと、ある疑惑が浮かび始めた。

そう思いたくなかったけど、きっと引っ掛かる理由はこれなんじゃないかと。

羨ましい

何がって、

・「誰かが自分の歌を望んでいる」と思える自信があること。
・言いたいことを気にせず言える居場所を確立していること。
・受け入れられると周りを信頼していること。

言語化してみたら、こんな要素が浮かんできて、これらはきっと、私の欲しているものなんだろうなと観念した。

長年の謎が解けた。鼻につくなぁって思ってたのが、まさか羨ましさだったなんて。愕然。

私も「私の提供するものを欲しいと思ってくれる人がいると思える自信」や、
「何を言っても受け入れてもらえると信じられるコミュニティ」に憧れるものの、

「みんな、お待たせ〜!
私にどんなサービスやって欲しい?」

と言うまでなりたいかと聞かれれば、それはやっぱり違和感を感じてしまう。超絶恥ずかしい。

でも、こういうことを臆せず発信できちゃうような人が、何かをすんなり成し遂げたりするんじゃないの?くらいは思い始めている。

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