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小学生の頃、水曜日が楽しみで仕方がなかった

小学生の頃、水曜日が楽しみで仕方がなかった。なぜならば、イナズマイレブンとダンボール戦機がテレビで放送されるからだ。ドラえもん、クレヨンしんちゃん、ミュージックステーションというレッドカーペットが敷かれた金曜日も同じように楽しみだったのだけれど、やはり当時の僕が、より熱を有していたのは水曜日の方だった。小学校のサッカーチームに所属していてサッカーが好きだったこともあったし、なによりその年代の男の子は必殺技だとかロボットだとかに胸を踊らせるものなのだ。そこには素直で、何にも変え難い熱が確かにあるのだ。ロマンと言ってしまえばそうなんだろうけど、そういうものでもなかった気がする。僕には語彙力が無いから、やっぱりどうしてもそれを「あの時の熱」としか形容できない。

熱がある時はとても充実した日常を送れていたと思う。水曜日がいつになったらくるのやらとカレンダーを毎日のように見て、過ぎれば次の水曜日を待ち遠しく思う。今となっては、特に楽しみにしているものもなければ、何かに追われるように日常を過ごし、気がつけば1ヶ月1年と歳をとっていく。巷でよく言われる、「人生の折り返し地点は20歳」というフレーズにも最近は頷けるようになった。振り返れば、いつか抱いていた熱は、なにも水曜日に対してだけでは無い。昼休みのチャイムを合図に誰よりも先に校庭へ駆け出す時、布団に被ってDSを開く時、300円を握りしめてお菓子を選ぶ時、たまに買ってもらえるカードパックを開封する時など数え出せばキリが無い。イオンに行って3DSの緑色に光る通信ランプを思い出すと今でも思わず口角が上がってしまう。

そういった熱、言わば小さな喜びは恐らく20歳を境目に尻すぼみになってしまうのであろう。大抵の喜びは予想の範囲内になってしまうし、そもそも感情という曖昧なものに対する疑念すら抱くようになってしまうからだ。自分の中の限界をある程度知ってしまうようになって、好きなことを諦める理由探しの旅に出てしまう。就活に取り組む今、嫌でもそのことを意識してしまう。あぁ嫌だ。大人になるということは諦めることだ、という大人は1番嫌いだったのに、まさしくそれになってしまったのだ。

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