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ライオンをライオンとしてみるか、動物としてみるか。

ライオンは、ライオンと思うと、いつまでたってもライオンにしか見えない。

ライオンと思ってみているの”怖がる”エネルギーが、その場に充満し、ライオン(と思われている人)はそのエネルギーを感じ取って、どんどん”ライオン”になっていく。

ライオンだって、求愛しあったり、誰かの子供として甘えている時期があったように、怖い以外の側面もある。

それが「あ、ライオンだ!こわい!」となると、それはもう狩りの対象へとなっていくのである。(まあ、純粋に食べたい、獲物が欲しい、といったのもありと思うが)

誰かがライオンを「怖そう」と思うことで、実はライオンも傷ついている。あ、また人が離れていった。そんな呟きが心の中から聞こえるのである。そんな寂しさを埋めるための狩りになることもしばしある。

でも実はそれは誰も望んでいることではない。ライオンはライオンになろうとしているように見えてるけど、いうて”動物”だし、ネコ科でもあるし、同じ地球に住んでいる仲間でもある。寂しがりやで、仲間が欲しい。

そんな側面も知った上で、ライオンとも共存していく世界はないのだろうか。

ライオンが持っている力は、ライオン自身だけで使いたいとは思っていない。むしろ、誰かを守ったり、打破する時にこそ、ライオンの力は輝くと思う。

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BGMとしてお聞きください。書きたいことはこの歌に詰まっております。


僕の体験を比喩的に綴ってみた。

ここでいうライオンは僕のこと。そう、ライオンとしてみられる(と感じる)ことがたくさんあるのだ。最近なんて「ひろはライオンなんだよな」と直接言われたりもした。

僕がそう見せている側面もある。それは間違いない。強さを前面に出して、初見の人には少し睨みを聞かせてしまい、面白いかどうかでジャッジをしてしまう僕は間違いなくいる。それは僕の怖さからくるものでもあるし、それを出してしまう弱さもある。間違いない。

というのは横に置いた上で、ライオンとみられることで僕が傷ついていることも知って欲しい。傷つけているんだと自覚して欲しい。それは、そうしている人が悪いのではない。ただ、そうなっていることを認識していて欲しい。そっからお互い様の話が始めると思っている。どっちが悪いとか責任があるではない。関係性はお互い様で作られているんだから。

最近、住んでいるシェアハウスに新しい住人が増えた。どちらも僕より年上で、今までの自分を知らない人たちだ。だから、コーチングをしている人、カレー屋の人、というよりも前に、ご飯を作って楽しそうにしている24さいの宇田川寛和、としてみてもらえているような気がしている。

これが久しぶりの感覚だった。野球部で先輩がいる中で伸び伸びとプレーさせてもらっていた時の感覚と近かった。僕の責任はありつつ、周りにも責任があって、背中をあずけあえているような感覚。僕を、プレーヤーとしてみつつ、後輩というか単なる人間としても見てくれている感覚。

僕はコーチをやっている。シェアハウスの立ちあげをして、コミュニティの音頭を取るような役をしている。飲食店もやっている。ガイアックスで事業立ち上げをしている。いっぱい仕事をして、今までいろんな変化を起こしてきて、周りには応援してくれている人がいっぱいいる。

でも、僕は24の男の子だ。社会人3年目の人間だ。新卒入社した会社をすぐ辞めたバカ野郎だ。男子校育ちの人間だ。掃除が苦手。一人っ子育ち。年上の男性と話すのが少し苦手だ。甘えん坊な一面もある。

そんな自分もいることを知って欲しい。知っているだけでいい。少しわがまま言うのであれば、どちらの面も踏まえて僕を見守っていて欲しい。そうしたら、怖そうなライオンではなく、強さあふれるライオンになるためのエネルギーが溜まっていく気がするから。自分だけでそうなろうと思っていたけど、ちょっとエネルギーが足りないみたいで疲れ気味なんだ。

どのように人を見たいか、見たくないか。どんなエネルギーをお互いの間で交換したいか。目の前の人に対する"Attitude"をどうしていきたいか。そんな問いがみなさんの中で生まれることを願ってます。


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