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大好きな場所にみんなが居続けるために、無力感を全身全霊でかみしめる

愛なき力は暴力だ。
しかし、力なき愛は無力である。

"I have a dream"のスピーチで知られる、キング牧師の言葉である。

愛と力は、ほとんどの場合で別物として捉えられる。力に重点が置かれていると、「自分のことを大事にしなよ」「それは本当に世界を救うのか」なんて言われるし、夢ばかり語っていて何もしない人には「何もできないやつが夢語るな」なんて力に押し潰される。いつだって愛と力は闘ってばかりだ。

僕はコーチとして、「愛と力」のバランスを人々にもたらすことを仕事にしている。力に重点が置かれている人には、自分の願いを取り戻す助けをするし、愛だけで力を無視してしまうような時は、実現するためのチャレンジへと背中を押すこともある。いつだって僕たちは、メトロノームのように愛か力の間で揺らぎ続けている。真ん中を維持し続けることなんてない。

僕個人は、力に重点を置き続けてきたし、今も針は力に傾いている。偏差値が大好きで、ちゃんとすることが当たり前。仕事で「きちんと」働かない人に怒りを覚えるし、練習にこないで試合にでるような「ずるいやつ」はチームから排除しようとしてきた。「できないやつは出ていけ」というのが、僕の心の口癖で、他人だけではなく自分にも言い続けてきた。

力に重点を置きがちな僕は、強烈な無力感を感じている。力がないが故に、離れずにはいられない会社があった。

その会社は、どんな場所よりも可能性を信じ続ける人たちが集まっている。誰でも力を発揮する可能性がある。働く意志が有る限り、それを信じて待ち続ける。どんなに仕事ができなくても、「ちゃんと」しなくてもだ。

だから、時には仕事にならない(と思っている)ことがたくさんある。MTGはアジェンダが進まないし、アジェンダがぶっ壊れることもある。サボる、連絡がこない、逃げる、目標は達成できない。

力に重点を置いてきた僕は、そんな状況が許せなかった。練習にこずに試合にのうのうと出ようとするやつは、金具のスパイクで蹴飛ばしたいくらいに、怒りが湧いてくる。「なんでこんなやつを採用するのか?」「成果をだしたいんだから、無駄なやつはいらない」

そのうちに、「なんでこんな組織作りをしているんだ」と会社への怒りへと変わっていく。可能性を信じているとか言っているけど、本当にそうなのか。信じられている方は苦しそうだぞ。

そして、働いているメンバーは、自然消滅のごとく会社を離れていく。それをみた僕の怒りの矛先は、個人ではなく所属していた会社へと向かっていく。僕からしたら、会社が「見捨てた」から離れていくんだと。なんて冷たい組織なんだ。

こんな会社にはいられない。大好きだった会社が、大嫌いになっていく。それが悲しかった。でもいると自分が傷ついていく。だから離れるしかなかった。離れたはいいものの、どこか気になってしまう。居たくないのに、気になるのはなんでだろう。そんな声には耳を傾けなかった。

その会社の創業祭が、つい先日あった。14周年だ。今はある程度の距離感をとっているからこそ、傷つくことはない。気持ちよく参加した。

僕はその日の社長の話を聞いてハッとした。とてつもない無力感を感じた。

「誰でも可能性がある。それを信じて待つ」というのを体現するために、どんなに仕事が「できない」とされる人でも受け入れる。すぐには結果が出なくても、それが数十年になったとしても、花開くのを待つ。絶対に可能性を諦めない。時には仕事にならないけど、それがこの会社。

可能性が花開く人たちをたくさんみてきたからこそ、この言葉が出てくるんだと思う。

ハッとした。僕の方が、人の可能性を信じていない。短期的な時間軸で「こいつはだめだ」と判断している。そして、これは一番自分自身がされたくないことだった。

大好きな会社を離れたのは、会社が悪いんじゃない。僕に力がなかっただけ。うまくみんなが活かされて働けないのなら、僕が仕組みを作れればよかった。僕が誰でも働けるように仕事をつくる力があれば、みんな離れなくて済んだのに。もっと楽しく仕事ができて、関わり続けられたのに。

自分に力があれば、僕が大好きな会社と関われたのに。自分が無力なだけだったのに、勝手に自分で自分を傷つけて離れただけ。

力がないと、誰かを見捨てないといけない。それは自分も他人も。みすてられるなんて悲しい。聴く力、引き出す力があれば、形にする力があれば、もっと大好きなモノに関わり続けられる。

人も同じだ。関わり続けるためにも、自分を表現して、受け取って、時には聴いて、引き出して、言葉にするのを助けて、共感する。すれ違いが起きるのも、ただ自分が無力なだけだ。

自分だけが悪いというのではない。でも、ただただ自分の無力を受け止めたい。愛があるが故に感じる無力感を、全身全霊で感じたい。それが自らの愛を噛み締める一つの方法でもあるから。

僕は無力だ。

だから学ぶ。触れる。そして形にする。

時に追い込む。断崖絶壁に立って、プレッシャーをかける。

仕事を作る、整える、進める。そんな力があれば、大好きな会社に心から関われる。だから僕は力を身に付けたい。実現したいという衝動を形にするために。

愛なき力で苦しむあなたに、愛を取り戻す手伝いをしたい。

力なき愛でもどかしさを感じるあなたに、実現する伴走者として並走したい。

誰も見捨てられることなく、山を登り切れる人に溢れた未来を、この命をかけてみたいと思う。

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