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Qくんとのこと

「2人組を作る」という話題から、小学生の頃の私は2人組を作る場面ではいつも最後に残ってあぶれる人間だったことを思い出して、そこからいろんなことを思い出していた。とある人のことも。

イニシャルを本当のものにするのもなんか気が引けるので、Qくんとしよう。

山村にある小学校は1クラスの人数も少なめで、24人しかいなかった。女子は9人。ほら2人組が作れないでしょ。絶対だれかあまる。

誰かが学校を休んでいると8人になるけど、わかってるんだ、私と組むことになってしまった人の「あーあ」って感じ。だからあぶれないと余計に嫌だった。仲良くしてくれる子もゼロじゃなかったけど、そういう子は人気だったり、たまには「私と組みになるのを防ぐため」確保されたりしちゃう。

あーあ。こっちが「あーあ」だよ。

もうひとつ厄介な出来事がある。Qくんだ。Qくんは、そういう組を作るときなどは、「女子・男子同士で」と指定されていても、それを無視して私と組もうとしてくる男の子だった。

私は当然困ってしまって、「やめて……そういうんじゃないんだよ」などイライラしながらQくんに説明するが、Qくんは頑固で、私の手を引っ張って自分の方へ連れていく。

Qくんは私以上にクラスで厄介なものとして認識されていた。いつもイライラしてすぐにキレて暴れるし、服はずっと運動着だし、常にチーズのようなにおいがしていて、髪の毛も固まってたり、鼻をほじったり、机をけずったりしているし、女子がオルガンを弾いているとやってきて女子を無理やりどかして曲を弾くでもなく音を鳴らすために鍵盤をたたきまくる。授業中は歩き回ってたり、からかうとおこって暴力を振ってくるので、好かれていなかった。それこそ誰かと一緒にいるところを見た記憶がない。

で、そんなQくんが私のことを気に入って引きずり回すわけだから、周りはとても面白がった。クラスのはなつまみものがくっついている。「けっこんしちゃえよ!」「もう二人でいっしょにやれば??お似合いだよ!」などなど、もう本当に私はそれがいやだった。目立ちたくないのにQくんに構われることで嫌でも目立ってしまう。

席替えをしても、Qくんは私の隣に座ると言って周りに暴力をふるい、机を無理やり持ってきて私の隣にきてしまう。

しかも、だれも机をくっつけてないのに、私の机にぴったりくっつけて、体もくっつけてくる。授業中もそうだ。私が嫌がってQくんに「やめて」と注意すると、先生からは「阿智さんうるさい。さわぐんじゃない」みたいに私が注意されてしまう。なんなんだ。なんと理不尽なんだ。

クラスの代表になる人や、何かを決める相談をホームルームですると、たびたびQくんが手をあげて「阿智さんがいいとおもいます!」と推薦してくるのも本当につらかった。

Qくんはテストの時は私の答案をカンニングにつかった。隠すでもなく、明らかに私のものを見ながら答案を埋めている。さすがにそれはどうかと思って、まず間違っている答えで解答欄を埋め、Qくんが書き写し、手遊びをし始めたり居眠りしているうちに全部正しい答えに書き換えたりしていた。
答え合わせの時のQくんの不思議そうな顔が忘れられない、私がたった一度だけ成功した「仕返し」だ。

強烈に覚えているのは音楽の授業。校内の発表会のために合唱の練習をしていると、Qくんは私の立っている場所が気に入らないと、歌を止めさせて私の手を引き始めた。音楽の先生もびっくり。私も困っちゃって、
「あのねQくん、私はソプラノで、Qくんがつれてきたここはアルトなの。違う場所なんだよ、だから私はあっちなの」
と説明するけど、うでを引っ張ったまま
「ちょっくら! ちょっくら!」
と歯を食いしばりながら顔を真っ赤にして大声で叫んでいる。
(※ちょっくら……はうちの方の方言?で「ちょっと」みたいな意味、まあ伝わるか……?)

皆はその様子が面白いようで「やだー」と笑う。
私は恥ずかしくって、本当にQくんが憎かった。こんなことでめだちたくないのに。

「ちょっくら」事件から、私のあだ名は「ちょっくら」になってしまった。
本当に最悪だ。大人になるぐらいまで、「ちょっくら」という言葉を聞いただけでぞっとして、あの時の恥ずかしさや、ずっと受けてたしうちの悔しさを思い出してしまっていた。

Qくんはおうちの事情が複雑なようだった。新しいお父さんは何かといえば殴ってくるという。(「父さん 殴ってくるしすぐ怒鳴るからきらいだ」とぼそっと言ったのを覚えている)Qくんの妹もいじめられていたが、それはQくんが守りに行っていた。きがする。私にへんな絡みさえしてこなければ、別にそんなに嫌いではなかったと思う。憎くはあったけど。


中学はクラスが離れた。廊下ですれ違うと私の方をちらっと上目で見てくるぐらいで、話しかけられることもなくなった。

あだなは相変わらず「ちょっくら」のままだった。残念なことに、ほかの小学校から来た子たちにも、良く事情は話されないまま「あいつのことはちょっくらと呼べ」という伝達が回っており、一部からは本当に「ちょっくら」と呼ばれるようになってしまった。憎い。


ある日、クラスの誰かから「Qくん転校しちゃうんだって」と話を聞いた。
「えっ、」
私は言葉がなかった、詳細は忘れてしまったけど、そのころの私は、彼が転校するということは家庭内のしんどい出来事がなにかあるに違いないと想像したからだ。

そうなんだ……転校しちゃうんだ、そしたら私はQくんに絡まれることもなく、日々が平穏なんだ。でもなんか別にうれしくもなければ楽しくもないしよかったという気もしない。中学になってからは、とくに嫌な思いはしていないのだ。もやもやとした気持ちのまま廊下を歩いて、階段を登ろうと上を見たその時、

踊り場にQくんが立っていた。

なんかのワンシーンみたいに、窓からの光で逆行になった仁王立ちのQくんが、くちをきゅっと結んでにらみつけるようないつもの顔で、私のことを見下ろしていた。

私はそれ以上階段を登れず、しばしQくんと視線を合わせて無言のまま立ち尽くした。

そうだ、転校するんだってね、なにか、声をかけなくちゃ、でも何にも思いつかない、私は、

「あっ、」

私が何か言おうとくちをひらくと、Qくんは逃げるようにその場から走り出した。
結局それが最後だった。

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大人になってから思い出せば、Qくんが不潔だったのも彼が悪いんじゃないと想像ができる。いつもいらだって、怒っていたのも、なんとなく理解ができるし、思い通りにならないことばかりでつらかったかもしれない。何を言ってもからかわれる、優しくしてくれる人もいない、話を聞いてくれる人もいなかったかもしれない、彼の子ども時代はどうだったんだろう。そしていま何をしているんだろう……私もあの時は子どもで、いい解決方法は何にも思いつかなかったし、ただいやだいやだと思うばかりだった。これもまた仕方ないんだろう。


桜が咲く季節は学校のことを思い出してしまう。
小学校のころを思い出すと、Qくんのこともたくさん思い出されるのだ。


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