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私はどうしてスペインに住むことになったか 後半


 きっかけは突然に。会社倒産したってよ


うだるような7月の暑い日の午後 、コンビニでのお昼休憩中に一番若手の男性職員がつぶやくように聞いてきた。
「給料が振り込まれてないらしいっすよ。今日ですよね、給料日....」
彼の奥さんから銀行に行って生活費を下ろそうとしたら、振込予定のお金が振り込まれていないが、という電話が来たのだった。
すぐさま私達外勤メンバー3人ともコンビニ近くの銀行や郵便局に残高確認に走った。皆同様に入るはずの振込はなく、もやもやしながら外勤を終え事務所に戻った。
 我々は介護系の会社に所属しており、訪問入浴という業務を担当していた。他にも高齢者の入所施設やデイサービスという通所施設も等も運営していたが、各事業所とも状況はすべて同じ、全部門の職員に給与の振り込みは皆無で、原因を社長に尋ねようとして携帯電話にかけても連絡が取れないとの事だった。
  つい先週に会社主催の勉強会と懇親バーベキューパーティーが行われたばかりだった。その際社長は家族と共に顔をだし、終始笑顔で職員に話しかけ何かに悩んでいる様子は全く感じ取れなかった。


 数日間、社長の消息は不明で、我々はやきもきしながらも、予定の仕事をするしかなく、3日たったころようやく社長から連絡メールが入った。
それによると、
会社の経営は実は赤字だらけの火の車で、事業報酬が支出より下回ると、こっそり社長の自己資金で補填していた。
が、自己資金が尽き、従業員の給料分が払えなくなった、とのこと。
今後事業を継続するためにこの数日資金調達を色んな方面に依頼していたが、万策尽きた、らしい。

事実上の倒産宣言だった。

 来月も来年も同じ仕事をするのかぁ、というぼんやりとした未来予想図が一転、業務整理の8月となった。
7月に入金予定の給与は後日報酬が入った時に、分割して支払う、と後回しになってしまった。

私達の仕事の仕組みは介護サービスという援助を必要としている方々にサービスを提供すること。
したがって倒産・事業所を閉鎖するにあたり、いま受け持っている全員の利用者を他の事業所へ紹介し、同じようなサービス内容で実施できるよう調整しないといけない。
残りの日々は利用者に状況を説明し、次の引き受け先を探しと引継ぎ作業に追われているうちに、夏がおわっていた。

利用者全員の引継が終わるころにはすっかり秋風が吹き始め、気の早い暖房のコマーシャルがテレビに流れ始めると、我々の事務所もきれいサッパリ片付き事業所閉鎖が完了したのだった。

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冬の札幌の凍結路面 寒いんだなぁ~

 

いつか、いつかって?いつ?大金持ってるこのタイミング逃したらもうこんなチャンスないんじゃ?


ほんの数か月前まで、連休も祝日も関係なく時間と業務に追われる毎日だった。
零下を下回り道路も凍る厳しい冬も、太陽ギラギラ真夏なのに締め切った室内サウナの時も年中首にタオル巻いて、半袖Tシャツ着て汗だくだった。
 週6日勤務、年々体力は削られ、こんな肉体労働いつまでもやってられない、いつか時がきたら誰が何言おうが、人が足りないからもう少しと引き留められようが、みんな大変なのに自分勝手だ、と言われようが
絶対辞めてやる!という怒りの感情をガソリンにエネルギッシュに働いていた。
そんなあっと間に過ぎる毎日が、いざ実際に無くなると
手持ちぶさただった。
何もしていない、仕事してない事に対する背徳感…
買い物や用事で外出するとあっという間に一日が過ぎる平穏な日々。
時間はたくさんあるのに何か刺激が足りない 物足りない。
 

 一番肝心の給与未払い問題はまだ未解決のまま。
これは法的手段の力を借りて何としてでも労働者の権利として働いた分の報酬はきちんといただかねばなりません。
結果、労働基準監督署に委ねられることになり、時間はかかったが、無事解決、労働の対価の報酬、給与未払い分残額が、失業から2か月後振り込まれた。

 そして倒産による解雇の為、雇用保険の失業手当が申請の翌月には即入金された。労働者の権利とはいえ、雇用保険入っててよかった。

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旅立ちますよ

さて、これからどうしよう。
仕事探したら医療福祉の仕事ならすぐまた再就職できるだろう。
労働に追われる日々がまたやってくる。

思いがけず手に入れたドーンと入金された給料2か月分+失業保険
いままでこんな額入金されてことない
毎月の給料はあっても右から左に子供の費用や支払いで
いつの間にか消えていってた

そうだ、いつか行きたいと思ってたこと、やりたいと思っていたことをいまやろう。
ぼやぼやしていたら何だかんだと遣ってしまう
いままで実行に移したくても
子供がいるからな~とか
仕事休めないからな~ と先延ばしにしていたこと
いまやろう。
自分で稼いで遅れて手に入った報酬、自分に使おう!

予算は給料2か月分+失業保険分の範囲で!

その時同居していたのは当時高校3年生だった次女と飼い犬のみ。
夫とは別居中、上の二人の子供、長女、長男は実家から出て
それぞれ独立して生活していた。


私は次女に「母はちょっと遠くに行ってくる。1か月したらちゃんと帰ってくるから!生活費はこれこれで」

と、

失業から2か月後スペイン留学に旅立った。

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