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考えてからやるか、やってから考えるか
ほぼ無意識に研究者をビジョン型とハードワーカー型に分けて見ている。
自分の周りにいた研究者にかぎれば、おおよそビジョン型が2割でハードワーカー型が8割だ。
ビジョン型は頭脳派、ハードワーカ型は体力派と言い換えてもいいのだが、少し異なったニュアンスを含む。
目的地を強く意識しているのがビジョン型で、ハードワーカー型は研究をすすめていく方向性や明らかにしたいことが明確ではなくぼんやりしている。
例え
グラフとバンドとデジタルデータ
ここ10年で、論文の図に占めるグラフの割合が増えたと思う。体感として。
私は、手法的な区分でいえば分子生物学や細胞生物学と呼ばれる研究領域にいて、その他にも個体を使った実験に足を突っ込んでいる。
生物学の真ん中あたりだ。
中心という意味ではない。
学問領域には中心も何もなく、それぞれに興味を持ってやっているものが連携し広がっている。
だから中心ではなく他の学問からの距離がちょうど中間くらいという
ツンデレじゃなくて、ただの職業癖です。
アニメとか映画とか趣味に関することで、盛り上がった気持ちを「分かってほしい」と思うことがある。
分かってくれないと悲しい気持ちや寂しい気持ちになるし、分かってくれると嬉しい。
そもそも他人と共有することに興味のない人もいるだろう。
でも、いつもではないにしろ、自分はそういう気持ちになる。
しかしどうも、同じ「分かる」といっても人によってニュアンスが異なる。
わりと長い間このニュアンスの違いについ
昔見ていた海外サッカーと科学コミュニケーションの話
20年ほど前にスカパーに加入していた。
衛星放送らしくたくさんチャンネルがあって、私は海外サッカーを観ていた。
当時、ラウル・ゴンザレスというサッカー選手がいて、彼はスペインのレアル・マドリードという名門チームのエースストライカーだった。
常勝チームで点を取ることを義務づけられているなかゴールを決め続けて、チームの勝利に貢献していた。
左利きでテクニックがあって相手のディフェンダーを翻弄するプレー
TV画面をスマートフォンで撮るように、脳と機械をくっつける
学生の頃に友人からASIAN KUNG-FU GENERATIONのCD-Rを渡された。
なんの話かと言うと、インターフェースの話だ。
20年ほど前は楽曲をCDに焼くのも一般的だったし、今現在クラウドが普及してもUSBメモリをまだ使う。
CDも場合によっては出番が回ってくる。
物理の記憶媒体。
データをやり取りするのに、TwitterやmessengerなどのSNSネット、メールに添付することも
フィクション的現実と現実的フィクション
同じくらい強いキャラクターを漫画で登場させたらやりすぎだってボツにされるぞ、というフレーズが必ず出てくるほど藤井二冠は強い。
現実がフィクションを追い抜いた、みたいなことだ。
フィクションは想像の産物なので、現実には思いもつかないことを表現できると思っているからこそ、この逆転現象をあらわずフレーズを楽しめるのだと思う。
ところで、数学には曲がった空間を記述する分野がある。
リーマン幾何学というら
たとえば歩くことも言語的なんじゃないか
普通、言葉といえば、日本語や英語など自然言語のことだ。
自然とつくからには自然ではない言語があり、プログラミング言語や機械言語がそれにあたる。
我々が普段、意思疎通や感情表現のために使う言語ではなく、ある特定の情報を正確に伝えるために作られた。
プログラミング言語は、機械に指令を出すためにある。
スペースがひとつ抜けただけでもエラーが出るし、コマンドを一文字打ち間違えただけで違う意味になったりする