わたしがナマズだったころ

わたしは、あのころ確かにナマズだった。
ナマズ、だった。過去形です。

2019年、数え年33歳。大厄年を迎えました。
厄除け祈祷記念品の福豆をポリポリ食べながらこの文字列をこしらえています。何かを食べながら作業をするのはわたしが口いやしい小太りであるからです。というのが言いたいんではないんであり、
では何が言いたいんであるか、というと
「いらんことをしていないと飲み込まれてしまう」ということが言いたいんである。
飲み込まれてしまう。何に。ナマズに。そんなわけあるか。160cmを超える星型のかたまりを飲み込むナマズがいるか。

ナマズ。
わたしを飲み込む大ナマズ。

いないとも言い切れない。ネッシー。UFO。夢がある。この世に“絶対”というものはそうそう無い、のでありましょう(知らない)
しかし実際のところわたしは河川に暮らす水棲生物ではない。陸地で暮らす星型のかたまりであり、大ナマズに飲み込まれて血肉になることはないのです。
でも。

でも。
わたしを飲み込む大ナマズはいるのです。いないけど、いる。どこに?ここに。
大ナマズは常にわたしの後ろに、或いは頭上に、いやいや足もとに、右に左に、どっこい斜めにだって、いる。いるのだ。
なんなら、あたまにかぶっているかもしれない。地方の名産品のかぶり物をさせられているご当地キティちゃんキーホルダーのように。キティちゃんの使い勝手の良さ。あたまが下がります。

そんな手頃なジャパニーズカワイイ土産物はさておき、ナマズの話です。
ナマズに飲み込まれるというのは“過集中”のことを言っています。
わたしが何かひとつのことにとらわれたとき、生命の営みに必要なありとあらゆることがストップする。
見ざる聞かざる。飲まず食わず。寝ず。ナマズ。寝食が侵食されるというわけです。
文字列をこしらえることにのめり込むとナマズに飲み込まれる、そうならないために、要らんことをして気を散らす。それが今こうして福豆をポリポリ食べることであるわけです。煎り大豆であるから水分を奪われます、喉が渇きます、水分補給をしなければなりません、そのことに気付き行動することが生命の営みなんであります。
ナマズに飲み込まれない生活の知恵というわけです。

何がナマズだ、精神科に行け、と思われるかもしれない。うるせえ。おまえもナマズにしてやろうか。ぬめぬめの。ぬめぬめのナマズめ。ぬめぬめしながら世のため人のため地震予知をして暮らすがいい。






15年前。心療内科に通っていた。
緊張を和らげる薬、胃痛を和らげる薬、眠るための薬。
わたしは常に緊張状態にあった。
緊張はメリハリのハリなんであって、思考・行動にポジティブな変化をもたらし人間的成長を促進する…ならよかった。万事丸くおさまります。円になり、収束する。なんて美しいのだ。ビューティフル。
どっこいわたしの心身にあってはそれが真逆に作用した。

SOR(Stimulus刺激-Organism有機体-Response反応)におけるOの部分、それがわたし(たち)、有機体、刺激-反応の媒介変数なのであります。

わたし(たち)という個々の有機体、の中の中、認知的情報処理。各々の、中の中。
外的刺激に適切な情報処理ができることはこの世にとり適切な、好ましい、望ましい反応(行動)をもたらす。丸くおさまる。出ました、円。ビューティフル。
ビューティフルピーポー。ビューティフルワールド。

なりてえ。ビューティフルピーポー。

この世にあってはありとあらゆる刺激にあふれており、有機体は常に取捨選択することで生命の営みをやっている。
必要な刺激と不要な刺激を仕分け、適切な反応をすること。
ビューティフルピーポーたちのそのスピード感たるや。

で、15年前である。
ビューティフルピーポーのビューティフルピーポーによるビューティフルピーポーのためのビューティフルワールドに、わたしという有機体は天の岩戸を閉じた。ガラガラピシャン。
児童思春期のオマセによくある「同級生たちが低レベルに見える」の逆である。
みんなの出来が良すぎるのだ。
幼児期の違和感が児童期に着々と積み重なり思春期になると確信になった。

微細な揺れを感じる。地震速報は出ていない。
心療内科で「ずっと、揺れているんです」と言うとセンセイは「揺れているのはあなたの心です」と言っていた。(違うんです)と思った。

ナマズ。






幼児期、頻繁に夜泣きをした。
それは感覚・知覚・認知の問題によるものであった。
忘れることのできない体験が、ふたつ。
壁や天井やカーテンがブワッと迫ってきたりスーッと遠ざかったりする。
カーテンが、怯えるわたしを嘲笑うようにはためく。
その風が、わたしには現実のもののように感じられる。
恐怖だ。
目を閉じてもそのイメージが焼き付いてあたまから離れない。
言葉にできず泣くことでしか表出できない我が子に母はとても難儀したと思う。

もうひとつの恐怖、白い世界。
現実のものではない世界である。
白い世界とはなんぞや。
それは砂糖のようなサラ粒の砂漠であったり、バニラアイスのようなこっくりした感触の山であったりする。
不定期ローテーションで大量の砂糖とアイスが襲ってくる。血糖値のジェットコースター。
甘いものは好きだった。襲ってこいとは言ってない。

どこまで続いているかもわからない広大な白い世界に、小さなわたしがポツネンと座っている。
薬さじのような小さな小さなスプーンを白い世界にさしこみ、すくってみる。
思い知らされる大きさの暴力。
ミクロとマクロを行ったり来たりする、繰り返し、繰り返し、繰り返し、目がまわる。
スプーンを持つ指先に走る小さな抵抗が、現実のもののように感じられる。
恐怖だ。
このイメージは今でもときどきワッと浮かんでくる。
そして「感覚からは逃げられない」ということばを残して消えていく。

児童期になるとありとあらゆる揺れにぶちのめされるわたしに大人たちが「三半規管」というものを教えてくれた。
遠足や校外学習、修学旅行でバスに乗った瞬間からわたしの車酔いがはじまる。
出席番号による席順決めからは毎回外されバスの一番前、センセイの隣、専用バケツ完備の特等席に自動的に配置される。
それでもなお、良くあってバケツと一体化し、悪くあっては病院で点滴を受けた。
集合写真には青白い顔をしたわたしが亡霊のように写っているか、そもそも写っていないかである。青春の1ページとは。三半規管を恨んだ。

とにかく微細な揺れに過剰に反応するので車やブランコは勿論、お風呂のお湯にまで酔い、入浴の自由を失った。
しまいには揺れるものを見るだけで酔うようになり、ぶらさがり電灯やそのヒモの揺れを見るだけで気が狂いそうになる。
10代、酔って酔って酔い散らかした。
「感覚からは逃げられない」のである。

こうなるともうすべての刺激が敵のように思えてくる。
微細な音に神経が逆立つ。
鳥、虫、人の声、ありとあらゆる物音、しまいには自分の呼吸や鼓動までもが敵になる。
食事が地獄の儀式と化し、咀嚼音、箸の音、麺をすする音、すべてがわたしの脳に突き刺さる。人と食事をすることを諦めた。

外界の刺激を処理できないので安全基地であるところの自室に引きこもって過ごすようになり、インターネットという中間領域で息をすることでわたしの許容範囲内の刺激を拝受して生命の営みをどうにか保ってきたわけです。
申し添えますと感覚・知覚・認知にかかる諸問題だけではなくビューティフルピーポーたちへの畏怖も天の岩戸を閉じる大きな要因でありました。
ガラガラピシャン。

そうして優しい繭の中で歳を重ねて今の偏ったわたしがあるわけなのですが、
加齢と経験値により過敏或いは鈍麻の度合いが徐々に変化していることを感じています。これを進化とみるか退化とみるかはさておき、大概の刺激にどうにか折り合いがつく、大人ってすばらしい。生きてみるものです。
「カドがとれて丸くなる」という表現がある。まさに。それってまさに。

ビューティフルピーポーではないか。

わたしは、あのころ確かにナマズだった。
ナマズ、だった。


#大人になったものだ

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