見出し画像

「養ってやる」と思える理由・最終回

 5回にわたって、夫婦と家事の関係を考えてきました。前回は、家事はクリエイティブであるから、クリエィティブな仕事との両立が難しいのではないか、という結論が出ました。

 家事の価値がはっきりと見えたところで終わりにしてもいいのですが、実は大事な点がもう一つあります。それは、夫婦のパートナーシップと、家事のシェアの関係です

 わが家で現在の家事の分担率は、7対3ぐらいで私の方が多いです。料理は私が平日、夫が休日、洗い物は作ってもらったほうが担当、掃除は半々もしくは夫の方が若干多い。日常の買いもの、洗濯は私。あと、名前のない家事はだいたいが私の担当です。

 若干夫の方が労働時間は長いものの、夫婦して家で仕事をしていることも多く、もっと平等な分担の道もあるかもしれません。でも、私はこれでいいと思っています。

家事以外の負担も考えたい。

 前回書いた専業主婦の場合はわかりやすいですよね。お金を稼ぐ係と家事の係。それは夫婦でやるべきことを分けることで、生活を一緒に築こうという関係です。

 夫婦は、人生を共にするパートナーなので、実は目の前にある家事だけが生活ではありません。人生は山あり谷あり。どちらかが危機に陥ったとき、手を差し伸べられるか、支えられるかが、お互いにとって一番大事です。家事のシェア問題は、いわば平時の問題です。子育て期に夫が何もしてくれなかった、と恨みを妻たちが持ちづづけるのは、本当に困って助けを求めているときだったのに、夫がパートナーとして役割を果たしてくれなかったからで、それは当然の怒りと言えます。

夫の家事負担率、7割の時期があった。

 私が自分の負担率が高めでもいいか、と思っていられるのは、うつでちょっと歩くだけでも疲れ果てる体調だったとき、料理を毎日作ってもらえたからです。

 料理と買い物はとてもクリエイティブな家事なので、うつで思考能力が下がると、とても難しくなるのです。買い物は時間的に夫が負担できなかったので、「定番の食材だけ買って」と言われ、キャベツや大根、ニンジン、豚小間肉などを買いました。「選ぶ」という行為がとても難しいと感じるんです。

 もちろん、家事以外の面でもたくさん支えてもらいました。夫まで巻き込まれてうつっぽくなった時期もあるほど、苦しい時期が何年か続きました。料理できるようになってからも、料理中にふとしたはずみで一気に体調が悪くなり、途中で投げ出して夫に作ってもらったこともあります。

 そういう時期を通過しているから、少しぐらい私の負担が多くても、気にならない。だから私は思うのです。夫婦が皆、家事を平等に分担する必要はない。どちらかの負担が大きくても、お互いが納得し、生活時間のトータルで無理をしてさえいなければ、問題はない。

 大事なのは、家族が快適に暮らせる環境をどう整え、家族生活にどう責任を持つかなのです



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?