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女子にかけられた料理の呪い

 先日、私もこちらの記事に書いた『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』の著者、キャスリーン・フリンさんが来日し、現在制作中の新作についてのイベント「お魚とキャスリーン」で講演されました。https://note.mu/acomari/n/n15e88263269c

 その際、同席した来場者の田中淳子さんが興味深いブログを書いておられます。http://blogs.itmedia.co.jp/tanakalajunko/2018/10/post_321.html

 それは、会場にいた女性たちが、新作に求めるものについて発言した内容を受けてのもの。確かに、全員が全員「ダメ女~」と同じように、魚料理への葛藤、プレッシャーについて解放してほしい、と話したからです。中には「魚がさばけなくてもいいのでは」と、許可を求めるかのように話す女性もいました。それは、「魚ぐらいさばけて一人前」という呪いに彼女たちがかかっているからです。

中央がキャスリーン・フリンさん。左が私、右はスープ作家の有賀薫さん。

魚はさばけないといけないのか?

 でも、魚はさばけないといけないのでしょうか。イベントで翻訳者の村井理子さんもおっしゃっていましたが、今はスーパーにさばいた魚が売られています。会場の方のコメントにもありましたが、魚屋や鮮魚売り場で、「さばいてください」とお願いすることもできます。魚屋は昔からそれをやってきたはずです。つまり、家庭で台所を担う人は必ずしも魚をさばける必要はない。そういう仕組みができているのです。

 それなのに、さばけないといけないのでは、と女性たちが思うのは、料理雑誌その他のメディアがくり返し魚のさばき方を紹介するからです。女性は料理上手であるべき、というプレッシャーを感じて、鮮魚売り場の人に頼むのが恥ずかしいからです。

 ちなみに、私は魚がさばけます。でも、実はヒスタミンアレルギーで、まるごと売っている青魚をさばいた後は、手がかゆくてたまらなくなります。でも、たまにやるのは、私が使っているスーパーでは、「さばいてください」と頼みづらいからです。売り場が狭いのもあります。それと、青魚が好きで、さばくのが面白いからです。趣味なんですね。

いつ呪いはかけられたのか 

 私みたいな趣味人はほっておいて、魚をさばきたくない人、さばき方に自信がない人が、それでも魚を自分でさばくべきだと思ってしまう原因を探ってみましょう。

 一つは、メディアの解説です。それはできるようになるべき、と読者は受け取ってしまいがちです。鮮魚売り場の人の視線も、もしかすると、「私をダメ女だと思っているかも」と受け取ります。でも、実は彼らができない人を非難しているとは限りません。鮮魚売り場の人が何か「自分でできないとだめだよ」と言ったでしょうか。

 もしかすると、最近誰かに非難されたという人もいるかもしれませんが、たいていの人は勝手に視線を感じているだけです。だって、呪いはもっと昔にかけられているかもしれないからです。それは、自分に家事を手ほどきしてくれたお母さんやおばあさんかもしれません。

 母の呪いは効きます。料理だけじゃありません。勉強ができない、ルックスが悪い。何か子どもの頃にお母さんから言われて、自分はダメだと思い込んでいることってないですか? ちなみに私は「あんたは顔が悪い」と言われたときの呪いがいまだにかかっています。そんな呪いの一つに、料理下手というものがあります。

お母さんたちの切実な動機

 お母さんはもしかするとそのとき、忙しい中で料理を娘に教えて、イライラしていたかもしれません。いずれにせよ、慣れない子どもが行う家事は、ベテランの大人からすればへたくそで当たり前です。そしてお母さんは必ずしも指導上手とは限りません。

 それでもお母さんが特に娘に家事を教えようとするのは、家事は覚えるべきことが膨大にあり、でも、できないと将来困る可能性が高いからです。今は掃除や料理の外注はしやすくなりました。でも、まだまだ庶民が毎日使うにはハードルが高い。皆さんが育った頃は、総菜を買うにも罪悪感が伴った時代です、いや今でも罪悪感を抱えて買う人がいるかもしれません。

 家事は人が生きていくうえで不可欠なものです。料理もふだんは総菜を買っても、非常時にはできないと困ります。栄養管理が必要な病人を抱えているときも、必ずしも病人食を外注できるとは限りません。そういうことをお母さんたちは知っているから、特に娘に何とか覚えさそうとがんばるのです。それはある意味、母の愛です。でも、教え方によって、娘には呪いになってしまう場合がある。

料理はできたほうがいい?

 一緒に台所に立って教えてくれなかったお母さんもいるでしょう。でも、女性はどうあるべきかは、お母さんの姿を見て覚えた人は多いと思います。女の子にとって、人生の先輩はまずお母さんだったからです。そこで、料理はできないといけないと思い込んだ人もいるかもしれません。

 お母さんが料理上手だったからそうなった人も、お母さんが料理下手でおいしいご飯を食べられない不自由さを味わった人も、総菜で育ってたまには作ってほしかった人もいるでしょう。どちらにしても、子どもはお母さんに料理を求めがちで、だからこそ、いつのまにか呪いにかかってしまうのです。女は料理ができたほうがいい。魚だって自分でさばけたほうがいい。というふうに。

 何度もここで書いてきたように、料理はできたほうがいい。でも何でも上手につくれる必要は必ずしもないのです。それこそ、総菜などの助っ人を頼みながら少しずつ覚えればいいのです。私は結構長い間、一汁一菜だったのが、あるとき段取りが上達していることに気がつき、一汁二菜にするようになりました。

 経験を重ねればうまくなります。足りない栄養は総菜でも外食でも頼めます。魚はさばけなくても大丈夫です。さばきたかったら、得意な人に教えてもらえばいい。それこそレシピ本を参考にしてもいい。できたらうれしいかもしれないから、覚えるのはいいと思います。

 さばけるようになろう、と思って改めて鮮魚売り場に行ってみてください。さばこうにも、さばく必要がある魚自体が少ないことに気がつきますよ。私は一度、築地近くの専門店ではりきってカレイを買いましたが、なんとアジとは構造が違っていて、内臓の位置を探すのに苦労しました。魚はそれぞれ特徴があって、扱いのコツもいろいろです。難しいものなんです。そして、わからないことは、できなくて当たり前なんです。

 できないなら、知りたいなら、覚えればいい。できなくても困らないなら、別にあなたはそれでいいのです。



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