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役に立てる喜び・前編

 大阪で開催したカテイカ・ミーティングに来てくださった方の一人に、世界思想社の望月知子さんがいます。ちょうど、春に出る雑誌『世界思想』で家事についての原稿を依頼されていました。

 やり取りする中で、望月さんがふと思い出したこととして、「人は誰かの手助けになれたり、一緒に達成したときに喜びを感じる」ということが、家事にも共通するのではないか、とメールに書いてくださったのです。

 それを言われて私も、同じようなことを主張してきたなと思い出したのです。長くなりそうなので、2回に分けて書いてみます。1回目は、共同作業について、2回目は助ける喜びについてです。

みんなでつくると楽しい

 同じ作業でも、独りでやるのと、誰かと一緒にやるのでは、一緒にやるほうが楽しいと思いませんか?

 先日、仲間と一緒に集まり、カレーを何種類もつくって食べました。それがおいしく時間通りにできたのは、料理研究家の仲間を私たちが手伝うという形ではあったからでもあるのですが、それにしても、大量の野菜を刻んだり、スパイスや肉を炒めて煮る作業の楽しかったこと。これはみんなでつくるから楽しいんだな、としみじみ思っていたところでした。

 私は毎年、東京でのカテイカ・ミーティングで場所を提供してくださっている幸國寺の矢嶋文子さんが主催する「手前味噌の会」に参加しています。これは厳密にいうと共同作業ではなく、参加者がそれぞれ自分の味噌を仕込むのを一緒にやるだけなのですが、これがまた楽しいのです。

 それは面倒な作業が省略されているからかもしれない、と思っていました。写真の右にあるパックは、あらかじめ煮た大豆なのです。大豆を戻して柔らかくなるまで煮る作業が省略されているのです。

 私たちの作業は、煮大豆のパックを踏み続けてつぶし、玄米麹と塩を混ぜ合わせたものと一緒にしてよく混ぜ、丸めて空気を抜きながら容器に入れて、表面をならし、塩をふりかけて密閉する。ごく単純な作業です。

 作り方は簡単なので、教室に行かなくてもできる。でも、みんなでやるところに味噌ならぬミソがあります。

一緒にやる人がいる喜び

 「手前味噌の会」には、カテイカの仲間の有賀薫さんも参加しています。去年、スケジュールが合わずに家でつくったという彼女は、忙しいので今年も不参加だと思っていたら、来ました。

「独りでやるとしんどい」と彼女は言うのです。私たちはいつも、足で煮大豆を踏みながらずっとおしゃべりしています。一人で参加した去年も、私は周りを見回してみんなの様子を見たり、様子を見に来た矢嶋さんなどとおしゃべりをしたりしていました。

 踏んでいるうちに汗をたっぷりかくこの作業は、けっこう時間がかかりますし疲れます。確かにその作業を、独りで黙々といつもの家の中でやるとその時間は退屈でしんどいものになるかもしれません。

 味噌づくりはもともと、村の女性たちが集まって仕込むものでした。また、韓国にはキムジャンといって、女性たちが冬、みんなで集まってキムチを漬ける作業をします。単純だけど手間がかかる作業は、みんなでやることで気が紛れ、おしゃべりをする楽しさを提供してくれるのです。それは昔の人たちの知恵だったかもしれません。

大掃除はなぜ楽しいのか

 ふだんの掃除はめんどくさい、という人も、ふだんは家事なんてやらない人も、年末の大掃除は家族総出でやるから参加する、という人は多いのではないでしょうか?

 大掃除は、手間がかかる作業の連続です。何しろふだんはやらないで放置しているところに、たくさんの汚れが溜まっているからです。真冬の水仕事は厳しいところもありますし。

 でも、けっこうこの作業は楽しんでやっている人は多いのではないでしょうか? おしゃべりしながらできる作業もありますし、家族がそれぞれ別の場所で黙々と作業していても、みんなお互いの気配を感じています。共同作業だとわかっているからです。

 誰かと一緒にやる。同じ苦労(?)をわかちあっている。独りじゃないと感じながら働くことは、何だか力をもらえる気がしませんか?

 そして、助け合うこの作業には別の意味もあります。いえ、大掃除だけではありません。助け合う、助けてあげる、助けてもらう。そこに大きな意味があるのです。その話は来週しますね。

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