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家事の水準に、納得できますか?

 先日行われた第4回カテイカ・ミーティングで、印象に残ったのは、「いかに家族を参加させるか」に悩む人が多いことでした。そこで今回は、家族で家事をシェアする難しさについて書きたいと思います。

 わが家は夫婦二人暮らしで、家事をシェアしています。前は名前のない家事を含め、7対3ぐらいかなと感じていましたが、最近夫の割合がふえつつあるような印象があります。

 というのは、夫のキレイ好き度が高まっているらしいからです。前に描いたように、洗面所などに私の髪の毛が落ちていることが気になるという話から、クイックルワイパーをマメに使うようになりました。

 そのうえ、前にも増して、シンクやコンロ回り、洗面台を磨くようになりました。「昔はあんな汚い部屋に暮らしていたのに……」と遠い目をしてしまう私。素直に喜べないのは、そのキレイ好きで、私がとばっちりを受けるからです。

 私は料理が好きですが、掃除は面倒に思うたちです。整理整頓は夫より得意だと思いますが、掃除は適当でいいと思ってしまうのです。ゴミが見えなければいい、という程度。水回りに関しては、飛び散った水を拭きとっておけばOKぐらいの感じなのです。だから、自分としては、とてもきれいにしたつもりでも夫が納得するレベルにはとても達していないようなのです。私は何がダメなのか分からないのですが……。

 私は、できるほうができないほうを、気が付くほうが気が付かないほうをフォローすれば家庭は回ると思っているのですが、夫の考えは違うみたいです。まあここで犬も食わない話をクドクドしていても仕方がないので、ちょっと引いて状況を整理してみましょう。

どこまでレベルを求めるか

 家事に求める、理想の水準も最低限の水準も、個人差があります。家族で暮らすときに、難しいのはここです。そして、家族がふえればふえるほど、この悩みは深くなります。人数分だけ求める家事の水準が違ってくるからです。そして、それは家族で家事を分担している場合も、誰か一人が引き受けている場合も発生する問題なのです。

 最近、私たちは洗面台の扱い方でケンカをしました。私の使い方が汚いと怒られたことがきっかけでした。それは、洗面台の掃除をどうするかではなく、洗面台をどう使うかという問題だったからです。家事を行わない人も、家の中のものは使う。だから使い方によっては、手入れや片づけが発生するのです。洗面台の使い方、トイレの使い方は、家族全員がかかわってきます。洗い物をしなくても、例えばコップなどをシンクに置きっぱなしにする、部屋に置きっぱなしにする、などの行為で、洗い物をする人が家族に不満を持ったりします。

 部屋が整理整頓された状態が好きな人と、散らかっている中に自分なりの秩序を観ている人が同居している、という話もよくあります。

 そこまで書いていてなんですが、その対処に実は答えはありません。解決の仕方は家族の数だけ、個人の数だけあるからです。先の洗面台については、スポンジを置いているので、できるだけ使った後にそれでさっと拭くことを私も心掛けることで解決に向かっています。たぶん……。

 使いかけの食器問題はうちにもあります。実は実家でもありました。妹がよく食器を置きっぱなしにしていたのです。私は母からきつく、気が付いたら洗っておくように、と言われていたので、妹の食器もよく洗いました。妹は洗い物に苦手意識があるようで、結婚後マンションを買ったときに食洗器を買うことで解決したようです。夫はときどき、コップを仕事机の横に置きっぱなしにしていますが、私が気が付いたときには洗う、コップを使う時点で気が付いたときには、夫に持ってきてもらうなどで、円満にいっています。目をつぶってフォローする、というのも一つの解決法です。

 たぶん、何度もケンカし、何度も話し合い、あるところで、高い水準を求める方があきらめることで、家族の生活は回っていくのでしょう。シンク回りについて夫は最近何も言わなくなったのは、私が上手にできるようになったからではなく、一生懸命やっても夫が求める水準に達しないので、夫があきらめてフォローするようになったからです。もちろん私がフォローしていることもありますよ。

 自分が当たり前にできることを、ほかの人はできない。自分がとてもできないことを、ほかの人はできる。案外、そういう発見こそが、共同生活のだいご味なのかもしれません。



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