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「養ってやる」と思える理由・その4

 前回、朝ドラ『まんぷく』の主役夫婦を通して、夫婦と家事の関係について考えました。

 ドラマの福子は、主体的に家事と育児の役割を担い、夫が仕事に集中できる環境を整えました。それは他のことに気を取られていると、彼が発明家の才能を発揮できないことがわかっていたからです。それほど発明という仕事は集中力を要するものだ、ということもドラマから伝わってきます。

 このドラマを観ていて思い出したことがあります。それは昔、テニス選手の伊達公子さんが現役復帰したときのインタビュー記事です。残念ながら、その記事はもう手元に残っていませんが、印象に残っていたのは、夫が「君は家事に時間を取られているより、他にもっとやるべきことがあるだろう」と言ってくれたというくだり。

 その言葉で彼女はテニスに全力を投球でき、見事に復帰を果たしたというのです。つまり、家事に追われていた間は、テニス選手としての力を発揮することは難しかったということでした。

女性の視点と男性の視点

 もう一つ思い出したのは、画家の宮迫千鶴が1984年に出した『女性原理と写真』(国文社)という本です。この中で、宮迫さんは女性的視点は「日常的な身辺雑記あるいは生活的視座のみを最大の根拠とする」とし、「多くの場合、歴史的視座を失なっている」と言います。生活のこまごまとしたことに囚われる女性は、広い視野を持つことが難しいのだと読めます。

 本が出版された1980年代半ばは、既婚女性の多数派を専業主婦が占めていた時代です。もし、女性が広い視野を失っているのだとすれば、それは彼女たちが家事・育児に追われる生活を送っていたからです。目の前にこなすべきことがたくさんあり、考えたり、自由な時間を過ごす余裕を失っているときは、主婦でも働く人でも、一歩引いて広い視野で考えることは難しくなります

 さらに、当時は高等教育を受ける人でも、男性は四年制大学に、女性は短期大学に進むような時代でした。歴史とか社会とか、自分の身近な生活を超えた抽象的な世界に思いをはせる訓練や教育を、男性に比べて受けている女性が少なかった時代です。

 立場と教育、環境の違いが、もしかすると男女の違いを生んでいたのかもしれません。それは今も続いている違いでもあります。

女性の抽象的思考

 女性の立場や環境が変わり、それに伴って意識も変わっていくこの30年あまり、私は若者から中年へと時期が移り、ときどきふと、今の若い人たちの感覚と自分の感覚がずれていることに気づきます。

 大学に進もうが就職しようが、結局はキャリアを断念せざるを得ない、あるいは家庭生活の方が大事だから仕事は後回しにしたい、という女性が、私の周りにはたくさんいました。仲が良かった友だちはほとんど主婦になっていきました。

 今、私が接する若い世代の女性たちは、仕事相手なのでもちろん働いています。彼女たちの中には子育て中の人もいます。結婚している人もいます。でも、彼女たちの仕事に対する姿勢は、決して腰掛けではない。続けることが前提です。そういう人たちの責任感ある態度はとても好もしく、ときどき放つ鋭い社会批判には、ハッとさせられることも多い。仕事とプライベートを充実させていく生活を続ける意思を持つ彼女たちはおそらく、広い視野で物事を観たいと望んでいます。だから、私に歴史の話を聞こうとする、という人もいます。

家事・育児は何が大変か

 子育てを終えた友人たちは、自分の時間が自由になり始めて、急激に視野を広げていきます。あの頃は仕事のことはあまり考えてなかった、と振り返るキャリア女性もいます。

 私は今まで何度も、幼児を育てる女性から話を聞いてきました。彼女たちの生活は子ども中心に回っています。職場から保育園に回り、その後まっすぐ家に帰る人は、5分、10分で料理を完成させて出さなければ泣き出す子どもを抱えています。だから惣菜や弁当も買うし、つくりおきした料理をチンするなどしています。

 一方、主婦ならヒマかというと、それも違います。彼女たちは子どもが家にいるので、何をしでかすか分からない子どもから目を離せません。料理しているのに寄ってくる毎日で、相手をしつつ家事もするという器用な生活をしなければなりません。

 3歳前後の子どもがいる友人の家に遊びに行き、子どもの遊び相手をしながら食事の支度をする彼女としゃべっていると、何も手伝っていないのにものすごく感謝されました。「何も手伝っていないのにどうして?」と聞くと「だって(子どもの)相手をしてくれてたから、落ち着いて料理ができた」と彼女は言いました。目の前の作業に専念できることがありがたいと思えるほど、子育て期の家事は大変なのです。

 大きくなっても、学校で問題が起こったり、遊びの中でトラブルが起きたり、勉強でつまづいたり、と子どもは心配を増やす天才です。性格にもよりますが、気を抜けない状態が少なくとも10年は続くのではないでしょうか。

 家事の量も質も大変になります。子どもがいると洗濯物は増えますし、部屋の散らかり方も大人だけより激しい。片づかない。料理も育ちざかりなら大量に必要ですし、乳幼児なら別につくらないといけない。要介護の人がいる場合も介護以外に洗濯や料理の手間がかかります。

 何といっても大変なのは、「目が離せない」人の存在です。私に子育ての経験はありませんが、一度妹から9歳の姪を任されて半日遊びに行ったことがあります。繁華街で彼女が迷子にならずについてきているか、誰からも悪さされていないか、連れて行った場所で楽しんでくれるか、慣れないことで気が張りました。彼女から解放されて出かけたとき、視線が常に1メートルぐらい下をさまよっている自分に笑ってしまったほどです。

 子どもを預けられない主婦は、子どもたちの相手をずっとしなければなりません。子どもを預けて働く人は、仕事の前後の短時間に集中して子どもの相手と家事をしなければなりません。どちらも大変です。ワンオペならもっと大変です。そんな日々に、ゆっくりと自分のキャリアを考えたり、子どもとは関係がない社会の問題について思索を深めることが可能でしょうか?

選ばなかった子育て

 私が子どもを産まなかった理由の一つは、仕事との両立が不器用な私には難しいと考えたことでした。考える時間がたくさんあったことが、深い思考を求められる現在の仕事につながったことは間違いありません。子どもを産んでいたら異なるキャリアを歩んだでしょう。

 前にご紹介した映画、『天才作家の妻』で、夫は家事・育児を引き受けて妻の執筆を支えていました。じっくり考えて言葉を紡ぐために、子どもの相手はしていられないからです。

 仕事と家事の両立は可能です。実際に実行している人はたくさんいます。子育て中心の生活を送ったのちに、キャリアを築いて大きな仕事を成し遂げる人もいます。しかし、自分の知恵と能力を絞って、人生を賭けて、持続的に集中してモノをつくり出す仕事は、子育てとは両立できない場合がある。

 それは逆に、子育てが集中力を要する役割であることと関係しているのではないか、と私は思います。家事も中心に担う人の場合、日々のやりくりを考え時間とお金の配分をしながら総合的に考える必要がある。それは、とてもクリエイティブなことなのです。だから、クリエイティブな仕事と家事・子育ての両立が難しくなる場合があるのではないでしょうか?



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