罪悪感はどこから来る?

 もう20年近く前になりますが、結婚したばかりの頃、私が思いがけず自分でもびっくりしたのは、「いい奥さん」を演じようと、人前で取り繕い、家事をていねいにやろうと必死になっていることでした。

 なぜびっくりしたかというと、私は学生の頃にフェミニズムの影響を受け、また、就職した会社でも男女平等が徹底されていたので、女性の先輩たちから「結婚は最初が肝心。なんでもやってもらえると旦那に思わせないこと」などと聞いて、家事は分担するべきと思ってきたからです。

 仕事でも最初に出した、同世代の働き方とその背景にある社会を分析した『ルポ「まる子世代」』(集英社新書)という本の取材を進めていて、家事分担が実現できずに悩む既婚者たちの話を聞いて、「やっぱりちゃんと話し合って分担し、平等にやらなきゃ」などと考えていたからです。

 もちろん、夫とつき合っていた頃に、料理が一通りできることをチェックし、「家事は分担ね」と話したら、「もちろん」と言われ、実際に分担もしていたのです。

 それなのに、何だか「奥さんはちゃんとご飯をていねいに作らなきゃ」「奥さんはもっと家の中を美しく整えなきゃ」などと、できもしないのに無理をした挙句、「なんで私ばっかり負担が大きいの!」とキレて夫に怒られるということをくり返していたのです。

 一人暮らしの頃は好きだった料理も、自分ばかり仕事を中断して作らなければいけないような気がしていたのです。確かに細かい「名前のない家事」は自分のほうが気が付いてやるなとは思いましたが、それ以外は話し合った結果で、料理は交代、洗い物は作ってもらったほうがやる、掃除も半々と、大まかにいえばそれほど不平等ではない感じで分担できていたにも関わらずです。

 それでいて、私だけのせいではないけれど、だんだん散らかってくる室内を見ては、ため息をつき。掃除機をかけるだけで済ませている床をみてため息をつき。残り物を出す食事を見ては、「本当はこうじゃないのに」と思ってがっかりします。

 それに人前では、いつもだったらどんどん前に出て人としゃべっているはずなのに、夫と一緒にいると、なんとなく後ろに引っ込んでしまう。奥さんは、後ろで控えているものだと思い込んでいたからです。

 そのイメージはどこから来ていたのでしょうか。一番大きいのは昭和の専業主婦だった母親です。女の子が成長する間、一番頼りにする将来像はやはり母親です。生まれた時から世話をしてくれた人で育ててくれた人。それが憧れだろうが批判的に見ていようが、特に家の中での振る舞いは、何十年見てきたその人を知らず知らず真似しているものです。

 周りの大人たち、成長してからは先に結婚していった先輩・友人たちも参考にしたでしょう。テレビCMやドラマの奥さんたちも無意識のうちに真似ていたかもしれません。

 私は私自身でしかないのに、「奥さん」というキャラクターを演じようとしていたことに気が付いて、だんだん自分らしく自由になっていって今にいたります。もっとも、私が知らない夫の知人に会うときは、彼の顔を立てるために、その人たちが持つイメージを保たせるために、なんとなく引っ込んだほうがいいのかなとか思ってしまう癖はいまも残っていますが。

 「奥さん」とか「お母さん」というキャラクターは、一つではありません。そして自分はそういう役割以前の自分らしさを持ってしまっている。だから、無理に演じる必要はないのです。家事が完璧にはできなくて、適当に手を抜いていてもいいんです。

 だって思い出してみましょうよ。お母さんも手を抜いていたはずです。「また今日もカレー?」なんて言った少女時代があったはずです。そして、いろいろとめんどくさいキャラクターも母親は見せていたはずです。自分だって完璧な主婦にはなれないのです。そんな人も世の中にはいるかもしれませんが、別にめざさなくても生活は回ります。理想のお母さんが将来の夢だった人はともかく、ほかにやりたいことや好きなことがある人は、罪悪感を持つ必要なんてないのです。もしかすると、完璧な奥さんをやると、すきがなくて疲れるのは一緒に暮らす家族なのかもしれませんよ。


 


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阿古真理

新しいカテイカ

「新しいカテイカ」は、もっと生きやすい家事へシフトする家庭運営プロジェクト。家事を考えるコラムやイベントレポートを発信します。 https://note.mu/atarashiikateika
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