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あくあゆの浄土真宗聞法体験記(13)

阿弥陀さまとの距離 その3

先生が日本に戻られてから、土曜日の夜9時に開催されていたズーム座談会が、日曜日の朝9時からに変わりました。この変更により今まで録画参加されていた方もライブ参加できるようになってきました。

ズームに参加するのはパソコンが便利です。一度に全員の顔を見ることができるからです。でも、パソコンがなくてもタブレットやスマホがあれば参加できます。皆さんそれぞれお持ちの端末で参加されています。

改めて座談会のスケジュールを説明します。前半45分、5分の休憩をはさんで後半45分の二部構成です。座談会終了後はアフターと言って、フリートークの時間です。この時間は主にメンバーが中心になって話をしています。アフターは1時間程度行なわれ、先生がズームを退出される時にメンバーにホストを移して、そのまま二次会になります。アフターや二次会には希望者が残って、時間が許す限り話を続けることができます。

座談会は司会者の進行で行われます。司会者はメンバーの中から選ばれます。発言をしたい方は挙手をして、司会者が発言をうながします。発言の内容を司会者が整理して、先生や参加者がその質問に答えるという流れになります。司会者は発言をよく聞いていないと話の整理が出来ないので、よく話を聞く練習になりますし、先生は進行役を任せることで、全体の様子をしっかりと見ることが出来るようになります。

今回の座談会から、チャット欄に質問を書き込んでもらった分にも答えるパターンが増えました。こうしてより多くの人が質問できる形に変わってきています。

今回私は、御法話動画を聴聞する時や座談会でメモをとりながら聞くのはどうなのか質問をしました。(11話参照)
あとで振り返りをする時に便利だし、効率的だと考えたのです。

先生が答えてくれました。

「なかなかいい質問ですね。直接のご法座ならば皆さんがどのように聞いておられるのか見ることもできますが、ズームではなかなか分からないので皆さんにお話しておきたいと思います」
「求道されている方で、なかなか聞くことが出来ない方とすぐ聞くことが出来る方がいらっしゃいます。私の体験では御法話を聞きながらノートにメモを取られている方は遅くなりがちのように思います。勉強みたいになってしまっているんですね」
「しっかりと先生の顔を見て『先生はこのお話を通して何を言いたいのだろうか?』と聞いていかれる方がいいですね。よっぽどの時以外はメモを取らない方が早いと思います」
「先生は何を言いたいのかということに加えて、聞いている時の自分の思いを見ていくこと大切ですね。例えば『眠いなぁ』とか『前も同じ話だったなぁ』とか『退屈だなぁ』とかいう思いですね」
「自分の後生はどうなんだ?自分はこれで喜んだと言えるのか?これでお浄土に行けるかな?今夜死んでも大丈夫かな?そういう事を頭に置いて聞いていくんです」

先生のお話を聞いて、私はとても大切なことを見落としていたことに気付きました。

私が聞かせて頂くのは仏願の生起本末です。仏願とは阿弥陀さまの願いです。阿弥陀さまの願いを聞くと言うのは、ただ単に耳で聞いて言葉の意味を理解すると言うことではありません。私がどれほど救われる縁のない者なのか、法蔵菩薩さま(阿弥陀さまのご修行中のお姿)が一体どのような思いでこの誓いを立てられたのか、どれほど凄まじいご修行をされたのか、そして南無阿弥陀仏が完成して阿弥陀仏となられてからは、私に「聞いてくれよ、聞いてくれよ」と涙を流しながらお願いしてくださっている。そういう思いすべてを聞かせて頂くんです。メモをとるのに夢中になって、その思いを見逃したらもったいないですよね。

阿弥陀さまは御法話をしてくださる先生の姿をかりて私に話して下さっています。またご同行の姿をかりて話しかけても下さっています。お話の内容は言うに及ばず、その思いや場の空気を肌で感じながら聞かせて頂くことがとても大切なんだと気付かせて頂きました。

私は座談会の後、掲示板に感想を書きました。

あくあゆ
今回も素晴らしいお話、ありがとうございました!アフターでは龍雲先生のお話もたっぷり聞けてとても贅沢な濃い時間でした。
自分では何気ない質問のつもりでも、思いもよらぬ気付きを頂けるということを教えて頂きました。
南無阿弥陀仏のおいわれを聞くというと、どういうことを言われているのかということばかりに気を取られてしまいますが、先生がどんなお気持ちで話して下さっているのか、私はどんな気持ちで聞いているのか、そこを聞かせて頂かなくては遠回りしてしまうんだなと思いました。
メモを取ることで、肌で感じられる大切なところを受け取れなくなってしまう、そう気付かせて頂きました。
先生の慈愛に満ちたお話し、阿弥陀さまのお気持ちを何とか伝えようと描いて下さった絵、それを目で耳で肌で受け止めなくてはもったいないですよね。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏(-人-)

座談会後のアフターでは、龍雲先生が称名念仏の大切さと、仏願の生起本末を偏りなく聞くことの大切さを教えて下さいました。生起ばかり聞いていくと救われない自分しか見えてきません。「私はこのまま一生救われないんだ」と苦しい思いばかりにとらわれてしまいがちです。その救われない私を必ず救う本末のところもしっかりと聞いていくことが大切なんですね。助かる縁が全く無い私と、そんな私を必ず助ける阿弥陀さまのお誓い。どちらもおろそかにできませんね。

次回は今までの振り返りをしてみたいと思います。



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