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あくあゆの浄土真宗聞法体験記 (5)

法話会での体験談発表その4

やがてツイッターつながりで久保光雲先生に出会うことになります。光雲先生と龍雲先生はご夫婦です。
親鸞会の書籍に頼っていた私にとって光雲先生のユーチューブ法話は大変助けになりました。家族で毎日観させて頂きました。
2021年1月からは光雲先生の聞法グループにも参加させて頂き、今回このような機会を頂きました。(*加筆修正する前のこの文章をグループの皆さんと共有して話し合う機会のことです)
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今まで聞法させて頂いて気付いたことや現在の心境などを書いてみたいと思います。 
正しい聞法を始める前は、とにかく目一杯真剣に求め抜いた結果、自力では間に合わないと知らされるから真剣に求めなくてはいけないと思っていました。 
ところが、できないんですね、これが。 
結局、怠け心全開のまま。それなのに「まだ本気を出してないから」という思いは全然抜けません。 
当時は「このままでは、今生ではとても間に合わないんじゃないかな?」と思っていました。 
それが「まだ本気をだしていないから」といいながら一生を終えてしまう私だからこそ救う誓いなのだと気付かされました。「目一杯頑張って自力が間に合わないと思い知らされないと救いません」という条件付けはないんですよね。
龍雲先生の下で、「阿弥陀様は『◯◯な人は救いません』とおっしゃっていますか?」というワークを繰り返しているうちに、私がグダグダ悩んでいることなんて阿弥陀様はとっくにお見通しだ。私がまさに阿弥陀様の救いの対象なんだと思うようになりました。 
今年に入って光雲先生のズームを使った座談会に参加するようになり、文章でのやりとりとは違った場の空気や人との触れ合いを感じました。移動時間ゼロ、自宅にいながら距離を越えて仲間と共に聞法できるのはとても素晴らしいことですね。実は両先生はブラジルで開教使をされているのです!(*6年間ブラジルで仏法を伝えられ、2022年1月にご帰国されました)地球の裏側の先生から仏法を聴聞する、科学の進歩はこういうことに使われるべきだと思いました。 
自分の思い、実感が無いことは妨げにならないと教えて頂き、そういう思いにこだわらなくなってきたように思います。そして、救われようのない私や南無阿弥陀仏のおいわれを疑いなく聞ける、こういったことはまだわかっていないように思います。 
南無阿弥陀仏のおいわれについて、知識としてはわかっています。煩悩の疑いがなくならないこともわかっています。 
ですが、煩悩の疑いでない、疑い心なく聞けるというのがわからないと思います。 
今は、阿弥陀様がどんな思いで私によりそって下さっているのかなと考えながらお念仏をしています。 
こんなふうに仰って下さっているのかな?
「やっと南無阿弥陀仏が届けることができたよ。本当に永かった。今のお前はわからないと思っているけど、わからなくてもいいんだよ。わからないお前でも救う南無阿弥陀仏なんだから。何を言っても混乱するばかりだということもわかっているよ。大丈夫、そんなお前を救う南無阿弥陀仏だよ」
「お前の口から出てくるその南無阿弥陀仏に耳を傾けてごらん。そう、わたしはここにいるんだよ」
「お前をもう絶対に堕とさないよ」
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏 
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今回求道の悩みというテーマで先生からご提案を頂いたのですが、明確な悩みを挙げることができなかったので体験記を中心として書かせて頂きました。とりとめのない文章になってしまったかもしれませんが、最後までお付き合い頂きありがとうございました。 
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏(ー人ー)

ここまでが加筆訂正分です。次回からはその後のことについて書いていきたいと思います。


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