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あくあゆの浄土真宗聞法体験記 (8)

心境の変化

今まで、自分の思いに耳を傾けるのではなく阿弥陀仏の仰っていることに耳を傾けるというワークを続けていても、頭で理解していても出来ない状態でした。

まるでロープでぐるぐる巻きにされて自分の思いから目を離せない、阿弥陀仏の方を向くことが出来ないような状態です。

それが何故か耳を傾けられるようになったのです。

 それはぐるぐる巻きのロープが少し緩んだような感覚でした。

すると色々ないい効果が現れて来ました。

まず、法話会などで先生やグループの方が発言されていることをよく聞けるようになりました。何だか面白いくらいにうなずけるのです。

相変わらず自分の思いはあるのですが、そちらに視線が向いていないので、よくよく見ないと自分の思いがないと勘違いするくらいに気にならなくなりました。だから、阿弥陀仏の仰っていることが邪魔されないで聞けます。また、自分が悩んでいた事なのでグループの方の不審もよく聞けます。

そして、自分の思いに振り回されないということは、いちいち悩んだり落ち込んだりしなくてもいいということなので、聞法がとても楽になりました。もちろん、めんどくさいとかそういう思いがなくなったわけではありませんが、そういう思いが薄くなり、聞くのが楽しみな思いが強くなったように感じます。

法蔵菩薩のご苦労や阿弥陀仏の大悲などこれっぽっちも感じていない私ですが、何故かそういったことに思いを馳せているのです。そして阿弥陀仏との出会いをワクワクしながらお念仏を称え、聞法しているのです。

その頃の光雲先生とのラインでのやり取りを載せます。

あくあゆ

ありがとうございます。

今はアップの状態だと思います。どんどん発言して聞けるような感覚があります。ちょっとした気持ちひとつでコロコロ変わる、面白いですね。ボーナスタイムだと思っています。

妻とは、昨夜はこんな話をしたんだよとか、こう思っていたんだけど、こういう気づきがあったよとか話しています。座談会も顔出ししなくても横で聞いてみたらとすすめていますが、まだハードルが高いようです。

娘も今は仕事に打ち込んでいるようで、なかなか聞けませんが、メールを転送したり、こんな話をしたんだよとか伝えていきたいなと思います。

光雲先生
奥さんにも娘さんにもご縁をつけていて最高ですね。🎉
ボーナスタイム!おもしろい!

それから10日後

光雲先生

あくあゆさん
ボーナスタイムまだ続いてます?
その勢いで、次回の法話会で司会をお願いできませんか?
龍雲先生が、ぜひあくあゆさんにお願いしたいといわれてまして。
お上手でしたし。
おつきあい長く、気心がしれているからやと思います。
いかがですか?

あくあゆ

ちょっとした高揚感はおさまりましたが、自分の思いにあまりこだわらなくなってから気持ちが楽になっています。週末の座談会に向けて読み進めていますので、もう少ししたら掲示板に書き込めると思います。
司会の件ですが龍雲先生のご指名でしたら、お受けしない訳にはいきませんね。喜んでつとめさせて頂きます。

光雲先生

気持ちが、楽になられたのね。
よかったわ!!
司会をありがとうございます!
はい、ご指名ですよ〜。🌟🌟☺️

法話会(座談会)終了後

光雲先生

ありがとうございました!!龍雲先生がとてもお上手でしたといわれてましたよ!!

あくあゆ

ありがとうございます!ほめて頂けるととても嬉しいです(o^^o)
今回は通ってきた道を振り返るみたいにスイスイ聞ける感じがあり、とても面白かったです。たぶん、何度も首をタテに振っていたと思います。
どうやらボーナスタイムはまだ継続中のようです。司会が終わった後の二次会はハイになっていました。
阿弥陀様の救いの手は今私に届いている、私の周りには私が気づいていないだけで阿弥陀様の救いで満ちあふれている。
実感は出来ないままだけど、私が阿弥陀様に気付く時、そのあふれる本当の親の愛に触れた時のことを考えると「オラなんだかワクワクしてきたぞ!」という楽しい感じになってきました。
もちろん、続くものではないのでしょうから、浮かれすぎないように注意したいと思います。

光雲先生
浮かれるときは浮かれまくったらええですよ。
ええじゃないかええじゃないか🎶

さらに二週間ほど後

あくあゆ
本日もありがとうございました!座談会の動画をアップロードしました。
ボーナスタイムは一応終わったようですが、自分の思いがあまり全面に出なくなった状態は継続しています。
阿弥陀様が主体だから、自分がどうこう言ったり思ったりしてもどうにもできないんだな、むしろ邪魔だよなと思えるのはありがたいですね。自分というものに振り回されないで済みます。
ご信心も自分の心に起きて来るものではなくて、頂くものだから自分には無いものですよね。
ある方は「自分の中に全く異質なものが入ってきた」と表現されていましたが、そういう捉え方もあるのだろうなと思えます。
今はTENさんのブログのタイトル通り「大悲にふれて」みたいです。

光雲先生

大悲にふれている感じはしないのですか?

あくあゆ

うーん、感じはしないのですが、ここに寄り添って下さっていると思うと少し嬉しいような気がします。
以前は寄り添って下さっているという実感がないから、嬉しくも何ともないという感じでしたから、この変化は結構嬉しいのです。
龍雲先生に出会う前は(出会ってからもしばらくは)浄土真宗の教えは、信心を頂かないと嬉しいも安心もないから求めていても辛いなぁと感じていました。
最近は自分の心にあまり振り回されないので、辛い思いがほとんど感じられないし、感じられたりしなくてもここにいらっしゃるんだなと思えるようになりましたし、出会いが楽しみになりました。
座談会の最中も、場や皆さんの発言を通して阿弥陀様の全てが伝わって来るような気がして、聞かせて頂いていました。
同時に私が分かったりするものではないのだなぁ、どこまでも分からない私に分かっているが入って来られるのかなぁ、などと考えていました

光雲先生
よりそってもらっていると思うとうれしいお気持ちなんですね。

そして一番大切な所を質問して頂きました。

光雲先生

大事なところは、
今夜死んでも、
後生をおまかせできるかどうか
、なんですけれどもね。
そこはいかがでしょうかね。

あくあゆ
正直なところ今夜死んだらと思えば、自分をギュッと握りしめておまかせどころではないと思います。

光雲先生
自分をぎゅっと握りしめて、おまかせどころではないと。
ご自分をぎゅっと握りしめる、というのはどんな感じですかね。

あくあゆ
今生を離れる私を自分自身で引き止めようとしているような感じ、でしょうか。
おまかせるより先に自分で自分を引き止めようとして必死になっている。誰の声も聞こうとしないで、自分をつかむ手をゆるめようとしないイメージです。

光雲先生
自分で自分を引き止めるんやね。
死にたくない、そのプロセスは、恐ろしいし、怖い。生きていたい。
という気持ちはありますから、気にしなくてもいいんですよ。
そっから先をまかせれるかどうか。安心感があるか、ですが。
いかがでしょうか。

あくあゆ
自分の思いを見つめてしまうと、おまかせなど全く考えていないと言うことが分かります。
そんな私の後生をまかせろと仰って下さっているのが阿弥陀様だと聞かせて頂いていますが、まかせられるか、安心感があるかとたずねられると、わかりません。
でも、わからない私にも既に南無阿弥陀仏が届いているので、私は救いの中にいるのだと思います。
だから以前にはなかったワクワクする気持ち、阿弥陀様の御心に触れたいという気持ちはあります。

光雲先生は普段「ご信心を頂いた」という表現をしません。「心境が変わられた」という言葉を使っています。それは私はご信心を頂いたと思っても、実は違っていたようだということがけっこうあるからです。みんなの前で「ご信心を頂いた」と言ってしまうと、後で違っていたと思っても言い出しづらくなります。グループから足が遠のいてしまったりしてしまうかも知れません。そこで先生はグループの中では「心境が変わられた」という言葉を使われています。

私の場合は、言葉通りの意味では心境が変わりました。ただ、大切なのは信心の沙汰です。

光雲先生は、今夜死ぬとなったら後生をおまかせできるかどうか聞いて下さっています。後生をおまかせ出来るかどうか、そこがとても大切なところです。

そう考えると私はご信心を頂いていない、もしくは不明ということになります。ただ、以前のような焦りはなくなっています。

ご信心を頂くことはとても大切なことです。しかし、ご信心を頂いていようがいまいが、阿弥陀仏の声を聞かせて頂くこと、南無阿弥陀仏を称え聞かせて頂くことに変わりはありません。だから焦って聞くよりは穏やかな気持ちで聞いたほうがいいですよね。これが今の私の心境です。




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