心境の変化
今まで、自分の思いに耳を傾けるのではなく阿弥陀仏の仰っていることに耳を傾けるというワークを続けていても、頭で理解していても出来ない状態でした。
まるでロープでぐるぐる巻きにされて自分の思いから目を離せない、阿弥陀仏の方を向くことが出来ないような状態です。
それが何故か耳を傾けられるようになったのです。
それはぐるぐる巻きのロープが少し緩んだような感覚でした。
すると色々ないい効果が現れて来ました。
まず、法話会などで先生やグループの方が発言されていることをよく聞けるようになりました。何だか面白いくらいにうなずけるのです。
相変わらず自分の思いはあるのですが、そちらに視線が向いていないので、よくよく見ないと自分の思いがないと勘違いするくらいに気にならなくなりました。だから、阿弥陀仏の仰っていることが邪魔されないで聞けます。また、自分が悩んでいた事なのでグループの方の不審もよく聞けます。
そして、自分の思いに振り回されないということは、いちいち悩んだり落ち込んだりしなくてもいいということなので、聞法がとても楽になりました。もちろん、めんどくさいとかそういう思いがなくなったわけではありませんが、そういう思いが薄くなり、聞くのが楽しみな思いが強くなったように感じます。
法蔵菩薩のご苦労や阿弥陀仏の大悲などこれっぽっちも感じていない私ですが、何故かそういったことに思いを馳せているのです。そして阿弥陀仏との出会いをワクワクしながらお念仏を称え、聞法しているのです。
その頃の光雲先生とのラインでのやり取りを載せます。
それから10日後
法話会(座談会)終了後
さらに二週間ほど後
そして一番大切な所を質問して頂きました。
光雲先生は普段「ご信心を頂いた」という表現をしません。「心境が変わられた」という言葉を使っています。それは私はご信心を頂いたと思っても、実は違っていたようだということがけっこうあるからです。みんなの前で「ご信心を頂いた」と言ってしまうと、後で違っていたと思っても言い出しづらくなります。グループから足が遠のいてしまったりしてしまうかも知れません。そこで先生はグループの中では「心境が変わられた」という言葉を使われています。
私の場合は、言葉通りの意味では心境が変わりました。ただ、大切なのは信心の沙汰です。
光雲先生は、今夜死ぬとなったら後生をおまかせできるかどうか聞いて下さっています。後生をおまかせ出来るかどうか、そこがとても大切なところです。
そう考えると私はご信心を頂いていない、もしくは不明ということになります。ただ、以前のような焦りはなくなっています。
ご信心を頂くことはとても大切なことです。しかし、ご信心を頂いていようがいまいが、阿弥陀仏の声を聞かせて頂くこと、南無阿弥陀仏を称え聞かせて頂くことに変わりはありません。だから焦って聞くよりは穏やかな気持ちで聞いたほうがいいですよね。これが今の私の心境です。