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昨日観た舞台。

昨日は舞台観劇に行ってきました。

昔、といっても4.5年前に一度共演した方、そして、高校生の初めくらいから今でも芝居を教えて下さってる方が出演されていました。

面白かったなぁ。


「ある風景」

座・高円寺にて。演出は戸田彬弘さん。
主演は、小出恵介さん。

昨日は、この作品の初日でした。
座・高円寺という劇場は初めてだったんですけど、とても広く、大きい建物でした。

200人は入るんじゃないかな。
満員でした。凄い。

あー、自分も向こう側に行きたい。
いつもそう思いながら、舞台や映画を観ています。


いつも作品の感想を書く時、物語や演出家の方は何が言いたかったのだろう?と正解を探してしまいがちです。もっと、ありのままの自分が感じた事を言葉にして伝えたいな。そんな事を意識しながら今回は書いていきます。



この作品を観終わって僕が感じた事は、「孤独」でした。とても寂しかった。

家族というのは、自分の触れられたくない場所、守りたい場所、そこに唯一触れれる、触れさせれる存在だと僕は思います。恋人でも、友人でも、どんなに信頼がある人でも、家族との信頼関係を超えることはない。それほど、僕は家族に絶大な信頼を置いてます。

だからこそ、この作品では、そんな家族でさえ知ることの出来なかった母親の秘密がありました。

母親は、家族の為にも、自分の為にも、そして相手の為にも、その秘密を隠し通す必要を責任を感じていたんだと思います。

あー、家族にも言えないことがあるなんて。
家族の為だからこそ、言えない事があるなんて。

そこにも、寂しいなって感じるんですけど、
僕の感じた孤独は、母親のもっと奥底の核となる部分にあった気がするんです。


何年も何年も、3人の子供達を育てながら、父親の介護をしながら、家事をしながら、睡眠不足になりながらも、その困難を乗り切る。

どんな困難も、乗り切る為には希望が必ず必要です。癒しや、それに代わる何かがないと絶望に押し潰されてしまう。

僕はそこで、母親にとっての希望はどこにあったのだろう?と考えました。

子供達は成人して、それぞれの人生があって、コロナもあり、そんなに頻繁に帰ってくることもない。夫は、もう寝たきり。どう考えても、母親にとっての家族は常々自分を支えてくれる希望になるには弱いのではないかと。難しいと僕は感じました、

そうなると、多分、その、誰にも言えない秘密という部分に、希望を置いていたのだと思わざるを得ません。でも、その秘密は、一番話したい存在には話す事は許されないし、自分自身墓場まで持っていくという強い覚悟があったと思います。そう感じる程の子供達への愛を感じました。

その秘密、彼女の希望は、誰にも共感してもらえないし、共有できない。自分の中で、静かに守って育てていくしかない。世間体的にも赦される事じゃないし、何より彼女自身が誰にも触れることのできない場所にしまうという選択をした。楽になるという選択を彼女自身が断ち切った。

僕は、この母親の強さこそ、「孤独」だと思うのです。そう感じるのです。


家族なら、何があろうとも、話して欲しいな。

許す赦さないの問題ではなく。

寂しいなと、感じます。

でも、それを後から聞くことによって、その母親の思いをどう捉えていくか。プラスと捉えるのか、マイナスに捉えるのか。これは、答えの出ない、正解のない母からの子への最後の教えであると思います。


ある小説を読んでいて出てきたフレーズが蘇ります。

「親というのは、自分の死をもって、最後の、そして最大の教育を子どもに施すのだろう。良くも悪くも。」by ジェノサイド 上



僕はまだ子どもです。
だから、子供の立場にしか立てないから、すごく寂しいなと感じたんですけど、母親にとって考えてみると、何があっても家族という風景は守っていきたかったのかなと、そう捉えます。満足だー。


25日まで、座・高円寺にて上演してます〜!

是非に!!!!!


映画を観てるみたいで、最高でした。


最後まで読んでくださってありがとうございましたー!!!!!


K

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