闘牛

 我は闘牛である。肉にされて了ふやうな奴等とは育ちが違ふ。立派に闘ふことが出来るやうに、猛々しくなるやうに飼育されてきた。其の成果あつて、我が体躯は他に引けを取らない。四肢に力を込め、角で一突きすれば、平気な者はゐないだらう。其所までせずとも、後脚で蹴りつければ、ひ弱な生き物どもは一溜りもないに決つてゐる。
 我は闘牛である。闘ふために生きてきた。其の我に勝てる者など、さうさうゐるまい。

 其の我は、今、人間どもが衆を成して観てゐる前に連れ出された。眼前には、布をひらひらとさせてゐる人間が幾人か立つてゐる。一人が不敵にも我が前まで進んで来て、これ見よがしに布を翻す。無礼な奴である。憤つた我は軽く撥ね飛ばしてやらうと思つて突進した。するとするりと躱しやがる。そして立ててある板の後ろに隠れて了つた。さうかと思ふと別の人間が目の前に出て来る。同じやうに挑撥してくる。ならば彼を的にするまでと思つたら、これまた逃げる。きりがない。確かに我の方が彼等よりも遥かに頑丈に出来てゐるから、逃げるのは仕方がないが、其れなら挑んで来るなと言ひたい。我を煽るだけ煽つて逃げるから怪しからんと思ふまでのことである。
 かくして寄つて集つて挑撥と逃亡を繰り返す人間どもを追ひ回してゐると、やがて、馬に跨がつた人間が入つて来た。彼は槍を手にしてゐる。乗る馬は防具で覆はれてゐる。次は此奴が相手らしい。今までの相手よりも手應へのある相手に違ひない。自然、我が闘志は燃え上がつた。しかし、敵は強かであつた。我に正面から向かはうとはしない。横から、横から、槍で突かうと仕掛けてくる。何たる奴。我は先に馬ごと押し倒してやらうと遮二無二突つ込む。ただ此れは迂闊であつた。馬上の彼は槍で我が肩を突き刺した。激痛が走る。さりとて今更引く訣にはいかない。構はず押し込むと、彼は馬を駆つて逃げて行つた。我は直ぐ追ひ掛けようとしたが、傷を負はされたのと、布を手にした人間が邪魔に入つたのとで、取り逃がして了つた。口惜しいが仕方ない。
 我が怒りに震へてゐると、今度は銛を持つた人間がやつて来た。どうやら其れで打ち掛かつて来る積りらしい。そんなものにやられて堪るか。逆に突き倒して呉れよう。さう思つて待ち構へてゐると、銛を両手に走り込んで来る。させるかと思つて此方も仕掛ける。相手は身軽であつた。巧く我が突撃を躱しつつ、我が背に銛を突き立てた。しかし、其の後がいけない。反撃をしてやらうと思つたら、既に逃げ始めてゐるではないか。頭に来たので散々に追ひ掛け回してやつた。でも、結局倒すことは出来なかつた。残念。
 さて次は何だと思つてゐると、剣と布を手にした人間がやつて来た。彼が我が主敵らしい。観客が歓声を浴びせてゐる。今までの憤懣は、全て此奴にぶつけてやらう。我は遮二無二突進する。彼は布を翻し翻し、巧みに躱す。何奴も此奴も逃げてばかり、躱してばかりなのが頭に来た。幾ら人間がひ弱で、生身ではどうにもならぬとはいへ、寄つて集つての此の所業、黙つて受ける訣にはいかない。戦士として、屹度一矢報いて呉れよう。一方的に切り刻まれてやるのは御免である。
 我は果敢に彼に挑み、彼も臆せず我が前で身を翻した。観てゐる者からすれば、一つの演舞となつて見えたことだらう。しかし、我は彼を突き倒すつもりであつたし、彼も剣で我を突き刺すつもりなのである。良からう。ならば舞つて見せよう、死の舞踏を。闘ひ敗れて身滅ぶなら、其れも結構。華もなく人知れず屍と化すよりも余程上等ではないか。我は思はず身震ひした。昂じた気分の儘、相手を追つた。しかし、敵も然る者。右に左に華麗に躱して、我が一撃を喰らひはしない。そして、剣で反撃してくる。そんなもの、どうといふことはあるまいと高を括つてゐたら、軽く斬り付けられて了つた。
 今更怯む我ではない。なほも相手を撥ね飛ばすつもりで向かつて行つた。しかし、敵は冷静に、我をあしらふ。猪口才な。このまま同じ事を繰り返してゐれば、我が身は保たぬ。力尽きて地に転がらう。さうであるなら、もつと華々しく、猛々しい所を見せてやらうではないか。意を決した我は、一度止まり、敵を正面に見据ゑると、全力前進、突つ込んで行つた。相手は斜に構へて待ち構へてゐた。今度もまた、さつと躱して、出来ることなら斬り付けてくる積りだつたらう。しかし、其れは織り込み済みのこと。我は今までになくがむしやらに猛進した。相手も此れには驚いたと見える。まともに激突することはなかつたが、僅かな手応へは確かにあつた。敵の身体は軽く撥ね飛んだ。
 ただ、口惜しいかな、我が身は其れまでであつた。敵の刃が深々と刺さり、血が噴き出し、痛みが襲ひ来た。血が溢れると同時に、身体から力が抜けて行く。たうとう四肢の踏ん張りが利かなくなり、我は地に転げた。
 視覚が段々ぼんやりしてくる。耳には余計事のやうな、観衆の昂奮混じりの声が聞こえてくる。でも、もうどうでも良い。かうなるのは最初から決つてゐた。我は、怨まず、呪はず、ただ朽ち果てよう。闘ひの末に果てることが出来たことを良しとしよう。
 我は闘牛である。

(初出: 『べこぼん―牛と正かなづかひの同人誌』編:野嵜健秀、書肆言葉言葉言葉 平成24年11月)

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