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企画には「そうきたか!」が必要

私は書籍の編集者なので、原稿に「赤入れ」をする。

「赤入れ」というのは、文章の間違いやよくない表現などを修正するために、赤ペンで書き込むことだ。いまはすべてパソコンのデータで作業しているので、最終的には、それをスキャンしてDTPデザイナーに送信し、無効のパソコンで修正してもらう。

で、最近、「赤入れってどうやって書けばいいんですか?」と尋ねられて、ふと思ったことがある。

校正記号はなんのためにあるのか


たしかに、赤入れには独特な記号がいろいろある。しかし、別にその記号を絶対に使わなければならないわけではない。

たとえば、「トルママ」という指示がある。これは「ここの文字を消去して、そのスペースを詰めずに空けておいてください」という意味だ。これは、この内容をいちいち文章で伝えるのが面倒くさいから、「トルママ」という言葉で編集者が横着しているだけである。

つまりなにが言いたいのかというと、別に校閲記号を使わなくても、DTPデザイナーに自分がどうしたいのかという「意図」がしっかり伝われば、どのような書き方をしようと問題ない。逆に言えば、自分の意図がDTPデザイナーに伝わらなければ、どれだけ丁寧に書いたつもりでもダメなのだ。

そしてもうひとつ大事なのは、どのような相手かによって、どの言葉を選ぶべきかが変わってくるということだ。

たとえば、「トルママ」という言葉は、プロのDTPデザイナーだったらまず絶対にわかる言葉なので使っても問題ない。しかし、町内会のイベントのチラシに私が赤入れをして、ある文字に「トルママ」と指示を出しても、そのチラシを作った町内会の人は意味がわからないだろう。

企画書は「道具である」という見落としがちなところ

で、ここからが本題なのだが、要するに、「企画」もこの赤入れと同じなのだ。

そもそも企画というのは、「まだこの世にないものの設計図」であるといえる。

たとえば私がある書籍の企画書を上司に提出する場合、その本はまだこの世に物質として存在はしていないが、私の頭の中にはイメージが存在する。しかし、私も上司もテレパスは持っていないので、言葉や文字や絵などでそのイメージを上手く伝えないといけない。そのために「企画書」というやつが必要になってくるわけだ。

ということを前提にあってこそ、この本を読む意味はある。

一番わかりやすく定義するならば、企画は、現状とあるべき理想のギャップを埋めるために存在しているといえる。
(中略)
マーケティングやビジネスで「課題」と呼ばれているものは、まさにこの現状とあるべき理想のギャップなのだ。
現状売れていない製品ならば、売れるようになるという理想を達成する施策が企画であり、全く知られていないサービスならば、誰もが知っているという理想に近づけるための取り組みが企画となる。
(中略)
つまり、企画とは、現状とあるべき理想のギャップである「課題を解決する」ために生まれる手法であると言える。
そのためには、当然のことながら、理想としてのビジョンやゴールイメージを持つことで、課題を把握・設定することが重要である。

「課題」と「問題」の大きな違い


本書ではまず「課題」と「問題」について述べられている。多くの人は、目の前の問題を課題だと勘違いしているケースが多いからだ。しかし、問題というのは、課題によって引き起こされた結果に過ぎない。

問題 = 課題によって起きた結果

たとえば、「朝すっきり起きられない」というのは問題であり、「朝すっきり起きられる」という理想の状態との落差が課題である。

だからこそ、企画を考えるものが考慮するべきは、問題を発見するということよりも、むしろ「こうあるべき」という理想をイメージすること(ビジョン)なのだろう。それは自分の理想でもあるし、世の中の多くの人の理想を創造する力でもある。これこそが、課題を発見する糸口になる。

ではどうすればいいのか。

そこで重要になるのは、考え得るいくつかの理想やビジョンを「仮説」として設定し、その検証を行うことである。
世の中には無数の情報が存在しており、その中には、正しいものも間違ったものも含まれている。ビジネスを行ううえで、市場情報や製品情報を読み込んでおくことは当然であると言えるが、その全てに目を通すことは物理的に不可能であり、情報が増えれば増えるほど、情報に惑わされてしまう可能性も高くなる。
自分が正しいであろうと思うビジョンを「仮説」として定め、その考えが正しいかどうかを判断する材料として、情報を使いこなしていく。そのプロセスが企画の精度を高めることにつながっていくのだ。

このあたりは、敏腕マンガ編集者の佐渡島氏も同じようなことを言っている。

その企画に自信を持っているか

そしてもうひとつ、私が同感・納得できたのは、「自分が本気でそう思っているか」という基準である。

繰り返し積み上げながら企画作業を行うことで、継続的に、かつ、どんな状況でも、一定以上の質の企画を生み出せるようになっていく。
そのうえで必要になってくるのが、自分が本当に納得しているか、ということ。つまり、自分という基準である
この企画者や提案者としての尺度は、クライアントや調査データによる客観的な尺度と同様に重要と考える。
なぜなら、提案物は提案者の責任で生まれるものだからである。提案を受け入れるかどうかは、生み出した後の問題でしかなく、受け入れられることを目的に企画が生まれるわけではない。
(中略)
「自分なら動くか。グッとくるか。そして、製品を買うか」
そんなシンプルながらも、ハードルの高い基準が、仕事の質を担保しているのも事実である。


これは本当に私も深くうなづく部分で、結局のところ、企画した当人が「これは絶対にいい!」と確信していなければ、それが売れることはない。

企画職ではない人からしてみたら、「自分が考えた企画なんだから売れると思っているだろう」と思うかもしれないが、そんなことはない。

編集者だってとりあえず売上ノルマはあるので、実は心の底ではそんなに売れないかもしれないと思っている企画でも提出するし、上司も「そんなに売れなさそうだな」と思いながら、売り上げを立てるために通すことがある。でも、当の本人が売れないと思っている企画が予想に反して売れるということはまず100%ないのだ。

これは、じつは企画をする人に限らない。たとえば営業マンや販売員は、自分が取り扱っている商品やサービスを心からお客さんにおススメできると確信していないと、売ることは難しい。実際、トップセールスパーソンは、本気でその商品・サービスをお客さんにすすめている。

コンセプトを固めるために大切な「たくらみ」

この辺りは、課題を発見するために「理想」を固めるための手法だが、実際、企画というのはその課題を解決する手段であるがゆえに、ただ課題を見つけられるだけでは不十分である。そのため、解決の側面でも、本書はさまざまな示唆を与えてくれる。そこでキーワードとなるのが、タイトルにもある「たくらみ」である。

たくらみというのは、著者の言葉で言えば「そうきたか!」である。すごく簡単に図式化すると、こんな感じだ。

なるほど! × 意外! = そうきたか!

たとえば、肥満で困っている人に対して「食べる量を減らせばいい」とういアドバイスは意味がない。「んなこと知っとるわ!」で終わる。

しかし、「じつは太る原因は炭水化物と砂糖だから、肉と油は太らない。肉をいっぱい食べなさい」というのは、さっきのよりは響きやすい。なぜかというと、

・肥満の人には普通「食べるな」というアドバイスが多いのに、「食べなさい」という逆の指示を下している(意外!)

・しかも、「野菜」ではなく、普通だったら太りそうな「肉」をすすめてくる(意外!)

・にもかかわらず、理由を聞くと納得できる(なるほど!)

このような構図があるからだ。

基本的に、ビジネス書、美容・健康本、マネー本、自己啓発書などの実用書でヒットしているものは、この方程式にのっとっている。『嫌われる勇気』もこのパターンだ。

ただし、「意外!」ならなんでもいいわけではない。たとえば、肥満の人に「逆立ちしながら般若心経を唱えなさい」といってもダメだ。なぜかというと

1.肥満の人は、そもそも逆立ちができない可能性が高い

2.般若心経もそらんじられない可能性が高い

3.あまりにも肥満と脈絡がなさ過ぎて「意外!」というよりも「胡散臭い!」と思われる

などが考えられるからだ。「意外!」の要素は、課題からあまりにもかけ離れすぎてはいけないし、実行が難しすぎてもいけない。その意味で、健康本のベストセラーは非常にわかりやすい。

一読の価値はあるビジネス書

そろそろまとめるが、本書は企画を立案する仕事をしている人にとって、わりと刺激になる一冊ではあると思う。著者自信が並々ならぬ実績を上げている人なので、言葉には説得力があるし、勇気付けられる。

ただ、ちょっと一部で抽象的過ぎ&理屈っぽい部分があるのと、やはり実用書としては第四章はあまりいただけない。ここら辺は著者の希望が通ったのだと思うが、実用書としてのおもしろさを追求するなら、この章は蛇足だったように思う。

とはいえ、一読の価値はある一冊だ。

ブログの本記事はこっち

http://ada-bana.hatenablog.com/entry/2017/12/25/122003

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